『アズハル総長の不安な発言』

2015年2月 5日

 

 エジプトのアズハル大学といえば、イスラム世界では知らない人がいないほど有名な大学だ。世界中のイスラム教徒の若者に奨学金を与え、イスラム学を学ばせている。

 アズハル大学を卒業した者は、それぞれの国に帰り、宗教界の重鎮になっていくシステムなのだ。それはアフリカ諸国も中央アジアも、東南アジアの国々も同じだ。かつては東欧圏やソビエトからも、留学生が来ていたのだ。

 したがって、アズハル大学の総長の一言は極めて重い意味と、影響をイスラム世界全体に、及ぼすことになる。

 そのアズハル大学のタイエブ総長が、ヨルダン人パイロット焼殺事件に関して、極めて重大な発言をしたのだ。多分に彼は感情的に、なっていたのではないかと思われる節がある。

 タイエブ総長は『今回のIS(ISIL)の蛮行は、許されるべきものではないことから、張り付けにして、手足を切り落として処刑しろ。』と語ったのだ。確かにイスラム法(シャリーア)に準拠して裁けば、判決はそうなろう。

 しかし、現代社会ではそれはどう受け止められるだろうか。多分に『イスラム教は野蛮だ』ということになるのではないだろうか。タイエブ総長の発言はIS(ISIL)の蛮行で世界に広がった、イスラム教の野蛮性に、逆に権威を与え、しかも磨きをかけることにはならないのか。

 その点、シーシ大統領はIS(ISIL)のヨルダン人パイロット焼殺事件について、非難はするものの控えめな発言にとどめている。その方が妥当だと思うのだが。

 このニュースと並んで非常に大事なニュースがあった。それはIS(ISIL)の蛮行がイスラム教非難に繋がり、やがては一神教すべてに、悪影響を与えるというものだ。

 この発言はアラブ連盟のナビール・アラビー事務総長がしたものだが、極めて冷静で正鵠を射ていると思う。イスラム教もキリスト教もユダヤ教も、みなアブラハムに始まる一神教であり、神の法を授けられている。

 そのため一定の問題については、妥協のない判断が下ることになるし、信徒は場合によっては、極めて感情的になり、厳密な法の実施を叫ぶようになる。かつて、キリスト教のヨーロッパ世界では、魔女狩りや断頭台の斬首、そして火あぶりの刑が、頻繁に行われていたではないか。

 このIS(ISIL)によって引き起こされた危険な時代にこそ、世界の宗教指導者たちは、真剣な討議をすべきであり、この問題に対する解決策を、提示すべきであろう。そこで大事なのは各宗教間の、相互の『寛容の精神』であろう。