トルコとシリアの国境のすぐそばにある、コバネの街はクルド人が居住する場所だが、この街を巡ってクルド人とIS(ISIL)とが、激しい戦闘を数か月にわたって展開していた。
結果は、クルド人の勝利に終わったが、それには幾つかの理由があった。第一のクルド側勝利の原因は、イラクのクルド自治政府がペシュメルガ軍を、派兵したことにあろう。
このペシュメルガ軍のコバネへの派遣については、トルコがだいぶ渋り、邪魔していたが、結局は認めざるを得なかった。その兵員数についても、トルコ側は厳しい注文を付けていた。
クルド側府が勝利したもう一つの勝因は、アメリカをはじめとする有志連合側が、IS(ISIL)に対して空爆を繰り返したことにあろう。そのことは、IS(ISIL)の兵士にとって脅威だったことに加え、IS(ISIL)が支配している、油井への攻撃も含まれており、IS(ISIL)は資金源を断たれることなった。
今回のクルドへの支援は、アメリカと有志連合60か国によるものだったが、トルコは一貫してクルドの敵に回ってきた。それはコバネのクルド組織PYDは、トルコの反政府クルド組織PKK(クルド労働党)の姉妹組織であり、テロ組織だという認識を持っていたからだ。
この点については、PYDはあくまでも民間の庶民を助ける組織であり、PKKの姉妹のテロ組織ではないというのが、一般的な認識になっている。アメリカ政府もPYDはテロ組織ではない、という認識に立っており、それを公言してもいる。
トルコは今回の、クルドのコバネでの戦いを巡り、有志連合参加国から白い目で見られるようになった。そのことに加えて、今回の戦闘を通じクルドとシリア政府との関係が改善しており、それが今後、トルコに悪影響を及ぼすことが予想される。
クルドのIS(ISIL)との戦いで、シリア軍はアメリカ軍などと並んで空爆をし、陸軍も動かしているが、そのことはシリア政府とクルドとの関係を、大幅に改善することとなった。敵の敵は味方ということであろう。
そして決定的なことは、イラクのクルド自治政府が、コバネの戦いに参戦したことにより、この地域のクルド人が一体だ、という印象を世界に伝えたことだ。そのことは将来、この地域にクルド国家が樹立される可能性を、高めたのではないか。そうだとすれば、コバネの戦いはトルコの大敗北ということであった、ということになろう。