先日、テロリストの攻撃を受けたばかりの、シャルリー・エブド社が新しく発行される雑誌で、預言者ムハンマドの肖像画を、掲載すると言い出している。預言者ムハンマドの肖像画(漫画)は、以前にも大問題になったことがあり、ムスリムには到底我慢が出来ないことなのだ。
今度の号で漫画が掲載されたときは、必ず暴力的なリアクションが、イスラム教徒の側から生まれよう。イスラム教徒にとっては預言者ムハンマドが、漫画の素材になることは、許されないことなのだ。
当然、他のヨーロッパの雑誌も、シャルリ―・エブド社の後を追って、預言者ムハンマドの漫画を掲載するだろうし、多くの挿絵作家が、競って預言者ムハンマドを題材にして、漫画を描くだろう。結果は、あらゆる場所に預言者ムハンマドの漫画が、出回るということだ。
たとえばそれが、トイレや不浄な場所に張り出されたり、ごみと一緒に捨てられることは、イスラム教徒にとっては許しがたい行為なのだ。以前、在日のイスラム教徒が、アッラーの名前や預言者ムハンマドの名前を書いた紙が、捨てられることに悲しみを覚える、と言ったことがある。
預言者ムハンマドの漫画に対する、イスラク教徒の反発の度合いは、人それぞれであろうが、いずれの人も不快感は抱くはずだ。それを百も承知で漫画を描き、雑誌などに掲載することに、何のメリットがあるというのか。
誰が考えても、今後ヨーロッパ各国では、イスラム教徒や彼らの支持者と、反イスラムの人たちがデモを繰り返し、その裏ではモスクや教会に対する、破壊行為が起こり、個人に対する攻撃も起ころう。
それが拡大していけば、ヨーロッパ社会は極めて不安定な状況に、なっていくものと思われるし、その混乱と対立のなかでは、多くの人命も失われよう。それでも『表現の自由』と言うのだろうか。
エジプトの宗教機関はこうした状況について『人類の価値の否定、自由への挑戦、文化の否定、寛容の否定、人権の否定だ。』と強く非難している。そしてフランス政府や政党、各団体に対し『シャルリー・エブド社の行為は、人種差別的であり、派閥対立を産む。』と訴えている。
憎しみは場合によっては、甘美な酒のようなものであろう。社会に不満が存在するときはなおさらのことだ。しかし、その酒の二日酔いは、頭痛程度では収まらない。健康そのものを脅かすし、人を病気に追いやるのだから。