中国の歴史のなかで、西方の匈奴の侵攻を防ぐために、幾つもの王朝が建設し、延長していった万里の長城は、人間が作り上げた、世界で最も大きな構造物であろう。
いまでは単なる観光資源となっているが、果たして中国史のなかで、この万里の長城が作られることによって、どれだけの匈奴の侵攻を、防ぐことが出来たというのだろうか。
実はあまり役に立たなかったのではないかと思う。それは人間の知恵で作り上げられた計画や構造物は、必ず他の人間の知恵で破られるからだ。一つのアイデアが永遠にその効力を発揮する、などというものはありえないだろう。人はそれを人類の進歩、文明の発展などというのであろうか。
イスラエルはパレスチナ人が始めた、インテファーダなどの武器を持たない抵抗運動が、意外なボデー・ブローとなったために、ヨルダン川西岸地区とイスラエルとの間に、高い塀を建設することを決めた。その長さがどれほどなのか、特別な関心を払ったことがない。私には馬鹿げた計画だと思えたからだ。
しかし、イスラエル政府は真剣だったのであろう。ヨルダン川西岸地区のありとあらゆる場所に、この塀を建設して行った。そのためにパレスチナ人の生活は極めて不便なものとなったし、イスラエル人の生活も不便になったのではないのか。
敵から身を守ろうとして作られるこうした塀は、結果的に自分をその塀の中に閉じ込めてしまうことになる。イスラエルのユダヤ人たちはヨーロッパで差別的に行われた、ゲットー内での生活を彼ら自身が、イスラエル国家の周辺に塀を作り上げることで、再現してしまったのではないのか。
つい最近、イスラエルのエルサレムポストは、安全のためにイスラエルが建設した壁が、パレスチナ人たちによって、穴があけられてしまったことを伝えている。皮肉なことにそれはベルリンの壁が崩壊した、25周年記念と一致するということのようだ。
中国の万里の長城が、多くの資金と人的犠牲を伴って完成されたが、何の役にも立たなかった。そしてベルリンの壁はソビエトの弱体化の中で、崩壊していった。何故それらと同じことがイスラエルでは起きない、と思ったのであろうか。
しかも、その壁を建設するに当たって雇われたのは、ほとんどがパレスチナ人たちではなかったのか。彼らは建設することも破壊することも、知っていたということなのだ。