最近なって、第三インテファーダはいつ始まるのか、ということがイスラエルや、パレスチナ人、そして一部のアラブ人やユダヤ人の間で、話題に上ってきていた。インテファーダとはパレスチナ人による、武器を使わない政治的な抵抗闘争をいうことなのだが、投石による抵抗が続いたために、一部では石の革命闘争とも、呼ばれたことがある。
1979年にはキャンプデービッド合意が成立し、エジプトが完全にパレスチナ解放闘争から身を引いたこと、続いて1981年に起こったレバノン戦争では、ベイルートのサブラ、シャテーラ地区で、多くのパレスチナ人が犠牲になったこと、1980年代の終わりごろになると、ヨルダンがヨルダン川西岸地区に関する管轄権を放棄し、パレスチナに全てを委ねたことなどから、パレスチナ人は深い失望感に襲われていた。
それは、既存のパレスチナ政治組織に対する、失望感を強めていき、西岸地区やガザ地区の住民が、既存の政治組織に依存しないで、自らの闘争で状況を変えよう、という動きだった。その最初のインテファーダが1987年に起こり、次いで2000年にもインテファーダは繰り返された。
しかし、抵抗から生まれるパレスチナ人の犠牲者数と、建物の破壊は大きいものの、パレスチナ問題には、何の解決ももたらさなかった。そのため、2000年の第二インテファーダの後には、何度となく第三インテファーダが話題になったが、実際には起こらなかった。
今回また第三インテファーダが話題になったのは、国際的なパレスチナに対する対応に、変化が生まれたことによろう。ガザでの戦闘が今年半ばに起こり、2000人以上のパレスチナ人が犠牲になったことは、世界中からパレスチナ人に対する、同情が寄せられると同時に、イスラエルに対する非難が高まった。
この結果、ヨーロッパの複数の国々では、パレスチナを国家を認めようという世論が盛り上がり、国会議員もパレスチナの国家としての承認をするべきだ、と言い出している。
こうした雰囲気の中であるにもかかわらず、イスラエル政府はパレスチナ人の土地だと国連が定めている、東エルサレムへの入植地拡大を強引に進めている。そして起こったのが、アクサモスクへのイスラエル警察の、土足での侵入事件だった。
この事件と前後して、イスラエル領土内では、幾つかの衝突事件が起こっている。ある評論家は『パレスチナ人が孤立していないこと』『世界がイスラエルよりもパレスチナの味方になってきていること』を取り上げ、『インテファーダはしかるべき成果をあげうる、と判断している。確かに今の時期なら、ある程度の成果はあがる可能性があろう。