『トルコで増加する労働場での死亡事故』

2014年11月 4日

 

 トルコではAKP(与党公正発展党)の政権になって、既に13年になるが、その間に労働現場などで死亡した者の数は、14455人に上ると報告されている。その数は決して少なくはなかろう。

 最近では、炭鉱事故で18人が生き埋め状態になり、犠牲となっているし、その後まもなくして、リンゴ収穫作業からの帰宅バスで、事故があり多数が死亡している。バス事故の原因は2台に乗っていた乗客を、1台に乗せ高速で走っていたために、起きた事故だというのだ。バス運営の会社や運転手に、責任の大半があった、ということであろう。

炭鉱事故はそれ以前にもあったが、犠牲者の数は301人と報告されているが、実数は不明だ。今回の炭鉱事故では、犠牲者のなかには中国人も含まれている、という報道があったが、何人なのかは不明だ。それでもましな方であろう。以前の炭鉱事故では、中国人や他の外国人の犠牲については、一切報じられなかったからだ。

 10月には一か月に164人が死亡し、今年の5月からだけでも、死者数は425人に上っているということだ。

 こうした事故が多発しているのは何故かというと、第一に不注意によるものであろう。そして炭鉱事故などの場合は、炭鉱主が不十分な設備で、生産量を増やすよう指示しているために、起こっている場合もあろう。

 しかし、政府は『経済開発』『トルコの発展』『新トルコ』といった歌い文句で、危険な仕事を、仕向けている部分もある。つまり、作業効率や利益が、最優先されているということだ。それは多分に、エルドアン大統領の姿勢に、影響を受けていることも、あるのではないか。

 政府要人の汚職と、政府の企業への許認可の緩さとは、比例していよう。結局企業主は政府の要人に賄賂を送り、危険な職場も不十分な機材や老朽化した機材も、許可してもらう。その見返りは高額の賄賂、という循環ではないのか。

 開発発展の美名の前には、あらゆることが許される、という時代が日本にもあった。いわゆる産業汚染などがそれだが、日本は何とかそうした状態から、抜け出している。しかし、トルコはまだまだ、抜け出しえないのではないか。犠牲は常に弱者だ。