『刻々と変わるトルコのコバネ対応』

2014年10月30日

 

 トルコのエルドアン大統領にとっては、冬の時期が始まっているのかもしれない。それは、対米関係が芳しくなってきたということに、原因がありそうだ。アメリカ政府はシリアのコバネ市のクルド人を、IS(ISIL)の攻撃から救いたい、という気持ちが強いからであろう。

 トルコ政府はアメリカの圧力を受け、シリアへの派兵を国会で決議したが、トルコは戦車部隊をシリアとの国境に張り付けたが、いまだにコバネには侵攻していない。それはコバネのPYDが、トルコのクルド組織PKK(クルド労働党)と同じ、テロ組織だという判断を、下しているからだった。

 そのため一切の協力をしない、という立場で来たのだが、ここにきてイラク・クルドのペシュメルガ軍が、コバネの戦闘に参加することを認めた。しかし、戦闘員の数は150人程度に限定され、いまだにコバネには、入れないでトルコとシリアの国境地帯にいるようだ。

他方、トルコ政府が支援しているFSA(自由シリア軍)の、コバネ参戦については、問題がないとして、トルコ国境からコバネに入ることを許可した。

 しかし、これとてもトルコ政府にしては、大変な決断だったと思われる。もし、コバネでクルド側がIS(ISIL)との戦闘に勝利した場合、その後コバネではPYDが主導権を握るのか、FSAが握るのか現段階では不明だからだ。

 トルコはアメリカの強い圧力に屈して、イラク・クルドのペシュメルガ部隊の、コバネ入りを認め、かつFSAのコバネ入りを認めたのであろうが、もうひとつの圧力が働いていたことも、考えなければなるまい。

 それはトルコ政府がコバネでの戦闘に何らかかわらず、コバネのクルド人が虐殺されるのを放置している、とPKKのアブドッラ―・オジャラン議長が、クレームをつけたからだ。アブドッラ―・オジャラン議長は、今後もトルコがコバネへの支援をしないのであれば、トルコとPKKとの和平交渉は打ち切る、と圧力をかけたのだ。

 加えて、トルコ国内のPKKのメンバーや支持者だけではなく、クルド人がコバネ支持デモを展開し、軍や警察そして一般市民に、犠牲が生まれていたからだ。この状態を放置すれば、やがてトルコ国内は内乱状態に、陥る危険性があったのだ。

 トルコ国籍のクルド人は、2000万人を超えると言われているが、これにシリアから難民として、トルコに入っているクルド人も、少なくないだけに、本格的な暴動となれば、収拾がつかなくなるであろう。

 トルコではエルドアン大統領の公邸が完成し、それはAKサライと名付けられた。AKはアクという意味であり、それは白ということだ。つまり、白い城という意味であろうが、どうも評判は良くない。開邸式には野党の議員が参加しなかった。

その時期には炭坑で大事故が起こり、この大統領官邸を使っての、ナショナルデーのパーテイは中止せざるを得なくなっている。しかも、この大統領官邸の建設では、ケマル・アタチュルクの農園の一部が破壊され、かつケマル・アタチュルクの名前が消されている。

そのことは今後世俗派の怒りを買うことになろう。加えて言えば、最近かつてうたわれた善隣友好外交は影をひそめ、周辺諸国との貿易も、大幅に減少傾向にある。エルドアン大統領の今後には、どうも暗雲が立ち始めている、ということではないのか。