エルドアン氏にとって、8月28日は人生の記念になる、大イベントの日であったろう。若いころから思い描いていた、トルコ共和国大統領に就任する日だったからだ。
彼の催した大統領就任式は、厳かでありきらびやかなものであったことは、述べるまでも無いのだが、中央アジアやアフリアなどからの要人参加はあったものの、欧米や日本からはしかるべき人物が、顔を出さなかった。
そのことはさておいて、大統領就任式と時を同じくして、トルコ国内ではエルドアン新大統領に対する、痛烈な批判が始まっている。裁判官組織のトップであるアリー・アルカン裁判官や、元裁判官のサーミ―・セルチュク氏などが、口をそろえて法の独立と公正な裁判を訴えたのだ。
加えて、軍の幹部であるウザル将軍が、軍の行動は法律に基づいて行う、と語ったのだ。この二人の語ったところは極めて意味深長だ。
つまり、二人はエルドアン新大統領がこれから進めるであろう、トルコの大統領職のアメリカ型への変革に、ブレーキをかけているのだ。エルドアン新大統領はこれまでのトルコとは異なり、大統領が実権を握り、首相はこれまで握っていたあらゆる権限を、放棄しなければならなくなるということだ。
そうなれば首相職は単なる、大統領の下働きになってしまうのだ。そのことは新首相に就任したダウトール氏にとっては、不愉快なことではないのか。ダウトール氏は外相としてこれまで、エルドアン首相のイエスマンとして従ってきたが、これからはその主従関係に、変化が起こるかもしれない。
問題は時間との戦いであろう。エルドアン新大統領が首相に命じて、法律を変え、すべての権限が大統領に集まるようにするまでの間に、変化を起こさなければならないのだ。
そのためにはダウトール首相の力だけでは不十分であろう。国民の多くが支持するエルドアン新大統領に、反旗を翻すことはダウトール首相一人では、不可能であろう。
そこで何らかの密約が交わされ、裁判官のトップと軍のトップが『順法精神』という錦の御旗を、掲げたのではないのか。裁判官の組織に対してエルドアン新大統領は、相当不満があるようで、裁判官の年次総会は欠席している。
しかし、ダウトール首相は会議そのものは欠席したが、レセプションには参加しているのだ。ここには彼一流の計算が、働いているのではないのか。つまり、エルドアン新首相に対しては会議欠席で顔を立て、裁判官たちに対してはレセプションに顔を出すことによって、関係を維持したということだ。