『逆回転し始めたトルコのクルド問題』

2014年6月 9日

 

  エルドアン首相をめぐるトルコ国内外の状況は、決して芳しくないようだ。周辺諸国との友好関係は、ほとんど全滅状態にある。シリアとはシリアの国内問題に関与し過ぎ、敵対関係になっているし、エジプトとの関係はモルシー・ムスリム同胞団政府への肩入れが過ぎて、現状は最悪だ。

  加えて、イラクとの関係は同国北部のクルド地区から、石油を確保しようとしてこじれている。そして、表面的には友好関係にあるイランとも、決して一枚岩ではないようだ。

  こうした状況が、現在のトルコと周辺諸国との関係だが、国内的にも多くの問題が噴出している。特にクルド対応ではエルドアン首相が当初考えていたものとは、だいぶ異なる状態になってしまったのではないか。

  エルドアン首相は逮捕投獄している、アブドッラ―・オジャラン氏を人質に、PKKとの交渉を優位に進め、クルド問題を終わらせたいと思っていた。その一環として、クルド地区の少年たちを、PKKが人質にし少年兵にする動きを、放置しても来ていた。

  しかし、そのことはトルコ東部のクルド人たちの、激しい反発を受けている。当然であろう、何十人もの子供たちがさらわれて、ゲリラに仕立て上げられてしまうのだから。

  加えて、トルコ軍が東部のリゼに、軍の施設を建設することを決めると、クルド人たちは反対デモを始めた。それがトルコ東部のクルド地区で起こっただけではなく、トルコの第二の首都イスタンブールでも起こったのだ。

  トルコ政府はこのクルド人のデモに対して、催涙弾と放水車で対応したが、デモ隊と警察の衝突が激しく、警察を含む5人が病院に運ばれ、それ以外に2人のクルド人が死亡している。クルド人の犠牲者の一人は、ラマザン・バラン氏24歳であり、もう一人はアブドルバーキ・アクデミル氏50歳だ。二人とも働き盛りであり、一家を支える柱であったろう。

  エルドアン首相はPKKのテロ攻撃を軽減解決するために、PKKとの交渉を始めたことによって、PKKとは違うクルド人を、敵に回してしまった。同時にこの選択はPKKの戦闘員を増やすことになり、一時期は400人程度といわれていたPKK の戦闘員の数が、いまでは3万人とも4万人とも言われるようになっている。

  つまり、エルドア首相の軽率な判断が、トルコ国内で共生しようと考えていた、穏健派クルド人との関係を破壊し、PKKという敵対するテロ組織を増長させることになったということだ。