トルコの国内は、エルドアン首相の汚職問題が、全国的に知れ渡り、大混乱といった状況だ。先日国会で野党が行った、エルドアン首相と子息ビラール氏との電話のやり取りが、テレビ各局によって流され、少なくとも2000万人のトルコ国民が、それを見たといわれている。
その後、エルドアン首相はもし3月30日の地方選挙で、与党が敗北したらしかるべき対応をする(首相職を辞任する)と息巻いたが、彼の与党が勝つ可能性は、だいぶ薄くなってきているのではないか。
船が沈みそうになると、ねずみは一斉に逃げるということだが、トルコの与党でも同じ状況が生まれている。多くの党員が党を離脱しているのだ。そればかりか、国会議員の中からも、党を離脱する者が出ている。
そうしたなかで、ギュル大統領がどう対応するのかが、これまで注目されてきていた。彼だけが立場的にエルドアン首相の暴走を、止めうる立場にあったからだ。しかし、そうした国民の期待とは裏腹に、ギュル大統領はエルドアン首相の提案する、非民主的な法案を次々と認めてきていた。
例えば、法の上の法権力を作ることになる、HSYK(裁判官検察官最高委員会)の制定を、認める文書にサインをしたのだ。それ以外にも検察官や警察官の左遷という、操作の第一線から退かせる決定にも、賛意を表明している。
これはギュル大統領にだけは、理性が残っているだろう、と期待していた国民を裏切ることになった。
しかし、ここに来てギュル大統領の言動に、変化が生まれ始めている。彼は『法を守ることは民主主義の基本だ。』という発言をし始めたのだ。つまり、これまで黙ってエルドアン首相の進める、汚職隠しに賛成していた彼が、これでは駄目だという姿勢を、示し始めたということだ。
ギュル大統領はこれから、何をしようと思っているのだろうか。3月の選挙前の土壇場では、もう党を割ることはできないだろう。エルドアン首相に真っ向から反対しても、それを何処まで進められるか分からないし、エルドアン首相の汚職事件の、捜査を進めることも難しいだろう。
そう考えると、ギュル大統領の今回示した姿勢は、彼自身の保身だけに留まるのではないか。それはギュル大統領の優しい性格が生み出した、情けない結論かもしれない。