アラブ湾岸諸国は人口が少ない事や、国民が訓練されていないことから、外国の攻撃を警戒し、湾岸諸国会議を結成したのは、1981年5月にサウジアラビアのリヤドを本部に、設立されたと記憶する。
確かそのきっかけとなったのは、クウエイトで起こった国暗殺未遂事件であったと思う。イランのホメイニ革命が1979年に成功し、イランは周辺諸国への革命輸出を、考えて行った行動であったと思う。
以来、湾岸諸国は強固な結束を維持してきていた。しかし、次第にカタールが浮き出た行動をとるようになり、他の湾岸諸国はそれを警戒するようになった。第一はムスリム同胞団への、異常な入れ込みであったと思う。
カタールは60年以上にも渡って、エジプトから亡命したイスラム学者カルダーウイ師をかくまってきた。彼は世界的にも著名なイスラム学者であり、影響力もある。
エジプトでアラブの春革命がほぼ達成された段階で、カルダーウイ師がカタールからエジプトに乗り込み、あたかも彼がエジプト革命のリーダーであるように振る舞った。
カタールのアルジャズイーラ・テレビは、エジプトの革命運動が始まった当初の段階から、全面的に革命派を支持していた。その報道の中には嘘も多分に含まれていた。アルジャズイーラの放送姿勢は、アメリカの意向に沿ったものであったようだ。
カタール政府はその後に誕生した、ムスリム同胞団のモルシー政府を支持していたが、それが昨年の軍の蜂起で打倒されると、エジプト新政府に対する反対の姿勢を鮮明にした。
しかし、多くの湾岸諸国はイランとの緊張した関係の中で、エジプトの軍事力が頼りなのだ。ところが、カタール政府の高官は抜け駆けでイランを訪問し、両国関係の改善を討議している。
カタールのムスリム同胞団支援は、カルダーウイ師やエジプトだけではない。カタールの支援するムスリム同胞団の細胞が、サウジアラビアやアラブ首長国連邦の中で活動しているし、バハレ-ンでも動いているものと思われる。
最近になって、アラブ首長国連邦ではムスリム同胞団員の、逮捕投獄が続いている。サウジアラビアも同様にムスリム同胞団に対しては、厳しい対応を取っている。モルシー政権が誕生した当時、エジプト政府はサウジアラビア、アラブ首長国連邦、クウエイトに資金援助依頼のミッションを送るのだが、どの国からも相手にされなかった。
ところが、昨年の7月に軍が蜂起した後に誕生した、エジプトの臨時政府に対しては、即座にこれら3国が120億ドルの援助を決めているのだ。ムスリム同胞団がこれら湾岸の3国から、いかに嫌われていたかが分かろう。
今回のサウジアラビア、アラブ首長国連邦、バハレーンによる、カタールからの大使召還決定は、今後湾岸諸国の間や、アラブ諸国の間で、カタールが爪弾きに会い、追い詰められていくことになろう。
そうした流れの中では、カタールが取り得る選択肢は、より一層、アメリカの言いなりになることと、イランとの関係をますます改善していく、ということであろうが、イランはそれを好機とみて、カタールを拠点に、バハレーンの体制潰しに動くかもしれない。そのことは、同時にカタールの体制も、不安定になっていくのではないか。