最近、中東諸国では歴史上に出てくる単語が、頻繁に用いられる傾向が強いような気がする。それが何を意味しているのか分からないが、混迷する社会状況や、歴史の大転換期が自然に生み出す、現象なのかもしれない。
たとえば、トルコのエルドアン首相は彼がAKP( 公正発展党)結成時に、全面的な支援を受けていた、ヒズメトという宗教慈善組織と袂を分かち、今では仇敵と考えるようになっているが、そのヒズメトのメンバーの事を、アサシーンと呼んで話題になっている。
このアサシーンとは、もともとはハシャシーンであり、ハッシシを吸引する人たちという意味だ。歴史上ではペルシャの奇人ハサン・サバーフが創設した、世の中の腐った権力者たちを、次々と殺害して行った、暗殺集団の事を言う。
このハサン・サバ―フのメンバーが、ハッシシを吸引していたか否かについては、疑問の余地がある。彼等は厳格なイスラム教徒であった、と言われていることから考えれば、彼等をハシャシーンがなまってアサシーンと呼んだ、ヨーロッパ人が創りだした、嘘ではないかと思われる。
トルコの人の友人たちにその辺のことを聞いてみると、エルドアン首相はヒズメトのメンバーの事を、暗殺集団という意味ではなく、ハッシシを吸うでたらめな連中という意味合いで、使ったのだろうと答えていた。
このエルドアン首相に対し、多くの反エルドアン派のトルコ人は『ファラオ』と呼んでいる。つまり、古代エジプトの国王ファラオ(ファラオは国王の意味であり固有名詞ではない)と同じように、独裁色をあらわにしているという、非難の言葉として、ファラオを使っているのだ。
それほど古くはないが、エジプトでは次期大統領とうわさが高いシーシ国防大臣の事を、第二のナセルと呼ぶ傾向が強まっている。述べるまでも無く、ナセルとはエジプトが共和国になった後、1954年なら1970年まで大統領職にあった人物だ。彼ナセルは当時、アラブ全域で英雄として高い人気と、評価を得ていた。
こうしたシーシ国防大臣人気の傾向について、西側諸国は一抹の不安を隠せないでいる。そこから生まれてきた言葉に、シーシ・フォビアというのがある。シーシ・フォビアの前には、オスマン・フォビア(オスマン帝国フォビア)があり、その前にはイスラム・フォビアという言葉が広まった時期がある。
人は皆簡単にその時の社会現象や、人物を表す言葉を求めるのかもしれない。それが『000・フォビア』であり、ファラオであり、アサシーンなのであろうか。簡単にその時の社会現象や、人物を現すのには便利かもしれない。
しかし、こうした呼称は、場合によってはその言葉が、現実よりも強いイメージを、与えてしまう場合がある。それは社会の現実に対する、間違った判断をさせたり、ゆがめてしまう危険があろう。それは言葉の持つ怖い一面であろう。