トルコがオスマン帝国の敗北の後に、共和国としてスタートを切った時、最初の自由選挙で選出されて首相に就任したのが、アドナン・メンデレス氏だった。
彼はトルコのアイドン県の地主の子息として生まれ、アンカラ大学で法学を学んでいる。
1950年5月、トルコ共和国初の自由選挙で、彼が所属する民主党が圧勝し、第19代首相に就任している。メンデレス首相の政治方針はイスラム教に対する穏健な対応であり、政教分離は緩和された。
また、メンデレス首相の政治方針は、経済の活性化に力を入れることであった。アメリカ政府はこの政策を歓迎し、農業の機械化などに支援を送っている。併せて大企業の活発な活動も、彼の政権下で実現している。
しかし、その後キプロス紛争が勃発し、暴動が発生し野党側がメンデレス内閣を非難した。同じ時期に世界的な農産品の価格低落も起こり、結果的にトルコの経済は悪化の一途をたどっている。
その後、メンデレスの民主党はかろうじて、政権を維持し彼は首相に3選さたのだが、反対派が強化されていったこともあり、メンデレス首相はメデイアの検閲を強化するに至っている。
当時彼に対する非難は『アタチュルクの理想が失われる』というものであった。ついには軍が1960年5月に起こしたクーデターにより、彼は仲間590人と一緒に逮捕され、イムラル島に収監されることになった。そして翌年1961年に絞首刑になっている。
このアドナン・メンデレス首相の略歴を読むと、今日のエルドアン首相に相通ずる部分が、多い事に気がつこう。エルドアン首相はイスラム色が強く、経済振興に力を入れ今日に至っているが、他方では検察、警察、マスコミに対する規制を強化したために、彼に対する評判が急激に下がっている。
あるアラブの新聞はエルドアン首相の今後について、歴史的な事例を挙げ、『メンデレスと同じ轍を踏むのか』という記事を掲載している。
それによれば、イラクのヌ―リ・サイード首相の政権が1958年に打倒された後、メンデレスに対するクーデターが起こり処刑された。彼はイスラム・リベラルの政治を行った。
エジプトのムスリム同胞団選出のモルシー大統領が、軍事クーデターで2012年に失脚したのは、メンデレス首相がヌーリ・サイード政権打倒の後に打倒されたのに極似している。
このアラブの記事には、米ロの思惑がほのめかされてあることが興味深い。