『カイロ・アズハル大学の放火事件』

2013年12月30日

 

 大義名分があればなんでの通る、と思うのが世の常のようだ。エジプトの首都カイロにあるアズハル大学は、世界最古のイスラム大学であり、世界中から留学生が集まるところだ。

 この大学を卒業して帰国すると、卒業生らはそれぞれの国の宗教省で、地位を得えることが出来る。いわばイスラム教徒に権威をもたらす、大学ということになる。

 世界的に有名なカルダーウイ師も、このアズハル大学の卒業生だ。ただ彼はムスリム同胞団の重鎮であることと、過激な発言が災いし、最終的にはアズハル大学から、除籍されるということになった。

 この世界的に有名な名門大学がいま、若者たちの乱暴狼藉の場になっている。アズハル大学にこもった若者たちと警官隊が衝突し、死傷者が出ているが、ついには若者たちがアズハル大学に、放火するに至った。

 この騒乱のビデオや写真が、インターネットで見られるのだが、どう見てもアズハル大学の学生とは、思えないスタイルの者たちが少なくない。そして、彼らはムスリム同胞団のメンバーにも、見えないのだ。

 もちろん騒乱を起こしている学生のなかには、アズハル大学の学生もいよう。ではアズハル大学で起こっている、騒乱の主役たちは誰なのか、という疑問が沸いてくる。

 この騒乱の結果、アズハル大学では試験が、延期されたと報じられている。何処の国の学生も試験は嫌いであり、延期になったことは大歓迎であろう。

 この騒乱の報道を見ていてふと思ったのは、日本で学生運動が激しかった1960年代の終わり頃、各大学で行われるデモやストには、他大学の学生や若い労働者も参集していた。それと同じことが、カイロのアズハル大学でも、起こっているのであろう。

 その推測が正しいとすれば、アズハル大学で乱暴狼藉を働いている者たちの間には、共通の闘争方針などなかろうし、しかるべきリーダーもいないのではないのか。そうであるとすれば、アズハル大学で起こっている騒乱は、ムスリム同胞団の評判を下げるだけで、デモの社会的あるいは、政治的効果はないということになろう。

 結局のところ、ムスリム同胞団の名前の下に、エジプト各地で起こっている騒乱は、ムスリム同胞団に対する社会の支持を、減らしていくことになり、早晩、抵抗運動は収束していくのではないのか。