『サウジアラビア・カタールの対立クウエイトが仲介』

2013年11月25日

 サウジアラビアとカタールが、対立しているようだ。もともと、この二つの国の間には領土問題があり、武力衝突も起こったことがあると記憶する。大国サウジアラビアとカタールとでは、戦争にならないのだろうが、一歩譲れば百歩譲ることになるのがアラブの世界だ。それでカタールも強気に出たのであろう。

 しかし、その後サウジアラビアとアメリカとの関係が悪化し、サウジアラビアに駐留するアメリカ軍が撤退し、カタールに一大軍事拠点を設立した。以来、カタールは以前にも増して、強気の立場をとるようになり、サウジアラビアに相談をして事を進めるという、雰囲気は無くなった。

 このカタールの変化の前には、先々代の首長から先代の首長に変わる段階で起こった、宮廷内革命をアメリカが先代の首長を、全面的に推したということもある。従って、先代のカタールの首長は、アメリカの意向に沿った行動を展開してきたし、彼が大株主(実質のオーナー)のアルジャズイーラテレビは、アメリカの中東政策のプロパガンダ機関としての、役割を果たしてきた。

 そのことは、一連のアラブの春革命で立証済みであり、アラブ世界では既に誰もが知るところとなっている。つまり、アルジャズイーラテレビはアラブの春革命を、扇動していたということだ。

 それだけならあまり問題にはならなかったのかもしれないが、カタールがエジプトのモルシー政権(ムスリム同胞団政権)に対して、相当力を入れたことが、今回のサウジアラビアとカタールとの問題を、引き起こしたようだ。

 サウジアラビアはエジプトのムバーラク大統領を、強く支持していたし、モルシー政権に対しては、ムバーラク大統領を釈放するならば、応分の経済援助もすると持ちかけていた。しかし、モルシー政権はカタールの援助があることをいいことに、サウジアラビアの申し入れに耳を貸さなかった。

 その後、モルシー政権が打倒されると、カタールは新生の臨時政府(実質は軍政)に対して冷たい対応をしている。それはサウジアラビアの路線とは、真っ向から対立するものとなっているのだ。

 カタールはエジプト国民の大半と軍による、モルシー政権打倒の後も、ムスリム同胞団を支援し、反政府運動を継続させている。そのためムスリム同胞団のメンバーによる反政府デモは、相変わらず続いているが、そのことがサウジアラビアを、激怒させているようだ。

  クウエイトはイランと湾岸諸国との、危険を増していく可能性を見て、湾岸諸国が分裂することは、危険の度合いを高めるとして、サウジアラビアとカタールとの関係修復に、乗り出したのであろう。

  湾岸諸国の多くは、カタールとは異なりムスリム同胞団の活動を、極めて危険なものとして受け止めているが、カタールはムスリム同胞団の重鎮である、カルダアーウイ師をかくまって、すでに60年ほどの時間が経過している。このことも湾岸諸国を、不愉快にさせているのであろう。今回のクウエイトの仲介は、結果的には、一時的な緊張の鎮静化には役立っても、問題の解決には繋がらないのではないか。