『アタチュルク人気復活はエルドアン非難の兆候か』

2013年11月17日

 

 最近、トルコ国内ではトルコ共和国創設の英雄、ケマル・アタチュルクの人気が高まってきているようだ。それを明らかに示す数字がある。ケマル・アタチュルクの没記念日に、ケマル・アタチュルク廟を訪問した国民の数が、今年は109万人にも上ったというのだ。

 これまでの記録では、昨年が413000人、2011年次は 181000人でしかなかったのだから、如何にケマル・アタチュルク廟への訪問者が、増加しているかが分かろう。  

 トルコの専門家たちの分析によれば、この傾向は政府に対する不満が、根底にあるということだ。ケマル・アタチュルクの治世には、平和と民主主義、そして異なる思想や民族が、平等に存在しえたということのようだ。

 しかし、昨今トルコの国民は不自由を感じ、政府に不満を抱くようになっている。それは国民に言わせると、政府が個人的な問題にまで、立ち入り過ぎるからだということだ。ゲジ公園の再開発問題では、政府はデモ隊に対し力を持って対応したし、エルドアン首相は男女が同じアパートに住むことは、不道徳だと非難してもいる。

 数年前の話だが、アルコール類の販売についても、エルドアン首相は厳しい対応をする、と語ってもいた。しかし、それは国民の反対が強過ぎたために、実現されなかった。もし国民が反発しなかったら、実現していたことであろう。

 最近では、エルドアン首相が私学の教育方針に対する、反対の立場を語り各方面から反対されもした。

 こうした社会状況が、ケマル・アタチュルク人気を復活させたのであろうが、ケマル・アタチュルクに対する評判は、これまで社会状況の変化に合わせて、変化してきたといわれている。

 たとえば、1960年代には反帝国主義が、ケマル・アタチュルク人気を盛り上げ、1970年代にはファシスト体制だったと批判されている。次いで1980年代にはクルド問題の悪化や、イスラム主義の台頭に伴い、ケマル・アタチュルク人気が回復していた。

 最近、トルコで起こった次のようなエピソードが報告されている。それは地方都市でケマル・アタチュルクのステッカーを、車のフロント・ガラスに貼り付けていたのを、警察に咎められ撤去するよう指示された。ドライバーが反発すると彼を支持する人たちが集まり、警察は『あくまでも交通安全のためだ、ケマルに反対なのではない。』と弁明したということだ。

 トルコで人気のサッカーチームである、フェネルバチェのフアンたちがスタジアムで、ケマル・アタチュルク支持のシュプレヒ・コールを叫んだことも報告されている。彼らは『俺たちはケマルの兵士だ!!』と叫んだということだ。

 こうしたトルコ国内の状況は、エルドアン政権に押さえ込まれ、沈黙を続けている軍部に、勇気を与えるのではないか。つまり、軍が社会の状況を判断して、我々に国民は立ち上がることを要望している、と受け止めるのではないかということだ。

 エルドアン首相による、独善とも独裁とも言える政治手法には、与党AKP幹部の間からも、相当強い批判があることは、エルドアン首相とアルンチ副首相との対立でも、明らかになっている。

 エルドアン首相がエジプトで起こった第三革命から、クーデター発生へのプロセスを、全面否定し続けているのは、トルコでもクーデターが起こることを、警戒してだといわれている。その憶測はあまり外れていないのではないか。