エジプトの混乱状況は7月3日の、軍のモルシー大統領打倒以来続いている。経済問題も未だ解決されてはいないが、湾岸のサウジアラビアやクウエイト、アラブ首長国連邦などからの、巨額の援助が送られていることもあり、先行きは明るいようだ。
現在エジプトで起こっている、ムスリム同胞団による抵抗テロ活動は、新体制側からすれば、いわば織り込み済みであったろう。ムスリム同胞団は60年以上の地下活動組織から突然権力を握り、それが1年ではく奪されたのだから、何としても奪還したいと思うのは人情であろう。
ムスリム同胞団は非合法合法の区別なく、当分の間抵抗を試みることになろう。ただ、そうしたなかで犠牲者が増えていけば、当然のことながら、庶民のムスリム同胞団離れ現象は、止められなくなろう。ムスリム同胞団の内部でも、あまりにも多いメンバーの犠牲者数を前に、抵抗をやめようと考える輩が、増えても不思議はあるまい。
エジプト国民の現在の心境は、当初の革命の意義などどうでもいい、一日も早く平穏な生活が戻ってほしい、というところではないのか。当初、2011年の革命時には、軍による権力の掌握に対して、反旗を翻したはずであったのだが、最近ではそうした人たちの間からも、軍による社会の安定を望む声が、増えてきているようだ。
その明らかな傾向は、シーシ国防大臣に大統領選挙に立候補してほしい、と望む人たちが増えていることだ。シーシ国防大臣はムスリム同胞団のメンバーよりも信仰心が篤いという主張をする人もいれば、シーシ国防大臣こそ社会の混乱を、収めることができる唯一の人物だ、と主張する人もいる。
以前にも報告したが、シーシ国防大臣と故ナセル大統領のイメージをだぶらせて、シーシ人気をあおる人たちもいる。ちまたでは二人の写真を一枚のポスターに焼き付けたものが、売られているのだ。
もちろん、なかにはそうした社会一般の雰囲気に、反発する人士もいないではない。彼らに言わせればシーシもモルシーも、タンターウイもムバーラクも、サダトもナセルも何ら変わりない、独裁者だということになる。
しかし、現状の混乱を解決できるのは、結局軍でしかないことは、エジプト人の誰もが分かっていよう。民主化運動を叫び、6月30日の第二革命を仕掛けたメンバーからも(モルシー政権打倒のタマッロド運動=反抗運動)、シーシ大統領待望論が出ているのだから。