エジプトで1928年3月22日に誕生したムスリム同胞団は、ハサン・バンナー師によるものであった。以来今日までに、ムスリム同胞団はすでに、85年の歳月を費やしている。
このムスリム同胞団が本質的に、どのようなものであるのかについては、専門家の間でも意見が分かれている。私に言わせれば過激な原理主義の組織であり、宗教というよりは政治闘争が中心なのではないか。
その目的は述べるまでもなく、国家の全権の掌握ということになろう。国家の権力を握れば、あとはイスラム法の導入であろうが何であろうが、自由にできるという発想であろう。
その権力掌握に至る段階で、これまでムスリム同胞団は、何度となく危険な橋を渡ってきたし、その結果として、国家からは非合法な組織とされてきている。
たとえば1940年代に、ムスリム不同胞団は時の政府によって、すべての資産を没収されている。彼らの事務所も資金も、政府が差し押さえたのだ。これに対して怒った若いメンバーが、当時のマハムード・パシャ・ヌクラシュ首相を、暗殺するという挙に出た。
結果的には、ムスリム同胞団は危険な組織である、というイメージがエジプト社会に広がった。それを受けて革命後権力を掌握したナセル・グループは、ムスリム同胞団に対する大弾圧をくわえていった。
その口実は、アレキサンドリアで起こった、ナセル大統領に対する暗殺未遂事件だった。もちろんナセル時代にも、彼の後を継いだサダトの時代にも、ムバーラク時代にもムスリム同胞団は、正式に政府に認められた組織には、なりえなかった。
したがって、1月25日革命の後ムスリム同胞団が 、エジプトの全権力を掌握したのは、ムスリム同胞団が結成されて以来、85年ぶりの事であった。しかし、彼らには過去の失敗から来る、焦りがあったのかもしれない。焦りが失敗を繰り返させ、ついには権力の座から追放されることとなった
今回、エジプトの裁判所はムスリム同胞団に対して、ムスリム同胞団としても NGOとしても、認めないという判決を下した。当然のことながら、それに伴って、ムスリム同胞団の資金や建物なども、差し押さえられてしまった。
2013年9月17日、エジプト裁判所はムスリム同胞団に対し、幹部の財産をも含む凍結決定を行った。結果的にムスリム同胞団は、これから何十年かの間、地下に潜り、非合法な形でしか活動できなくなるということだ。