1970年代始めに、日本が好景気で東南アジアを中心とする、外国に駐在事務所を開いていた頃、多くの日本人駐在員は家政婦と、運転手と警備員を抱えていた。述べるまでもなく、会社には現地人スタッフがたくさん雇われていた。
そして休日ともなれば、近くのゴルフ場に出かけて、ゴルフざんまいの生活をしていた。当時の日本国内の状態から考えれば、駐在員の生活は、まさに地上の楽園であったろう。
そのころの日本人を揶揄する言葉はいろいろあった。『エコノミック・アニマル』『企業戦士』『黄色い白人』特権階級意識をむき出しにする日本人が叩かれたものだ。最近ではそうした傾向が、少しは弱くなってきているようだが、それも程度の問題ではないのか。
しかし、駐在員が少しばかり、現実が理解できなくなった程度の事は、まだ許容範囲なのかもしれない。そうではなくて、国家が大金持ちになり、その金を他国の革命やクーデター、戦争につぎ込むのは、どうしても許すことができない。
今現実に中東世界で起こっている現象はこれだ。例えばA国はさしたる資源もなく経済的に苦しい。したがって国民の間には不満が蓄積している。その不満にマッチを一本すって投げ込めば、たちまちにして庶民の不満は燃え上がるか、爆発を起すことになる。
そのことにより、A国には革命がおこり、次いで新たな独裁政権が誕生し、それに反対する側はグループを結成して、現政権に対抗する。結果はその繰り返しとなり、国土は多くの国民の犠牲の血で、塗りこめられることになる。
国民の不満という可燃物に向かって一本のマッチを擦ったのは、金持ちのB国だ。その国の権力者たちは、A国が混乱と悲惨の中にあることを見て喜ぶ。『我々の国家は安泰だ』『我々の国家は豊かだ』『見ろあのA国の悲惨な状況を』といった具合にだ。そして時折『人道的な支援をしよう』と叫び始める。
今の中東諸国の惨状を見ていると、A国に当てはまる国が幾つもあり、それにB国に当てはまる国も、幾つもある。しかも中東には限らないだろうが、欧米の国々もB国役を演じたがる。
『『戦闘や流血はもう沢山だ』『犠牲はもうたくさんだ』と叫びながらも、この地域のA国の男たちは戦闘に参加しなければ、家族の生活を支えていけない、という現実に直面している。欧米湾岸アラブ諸国、トルコなどは自分がB国の
役を演じていないかを、真剣に考えてみる必要があろう。そうしなければ、明日はそれらの国々が、A国になることもありうるのだから