エジプトの首都カイロ市のナセルシテイ・エリアで、イブラヒム内相を狙ったテロ事件が起きた。イブラヒム内相は無事だったが、この事件は今後に長い間尾を、引く原因を作ったものと思われる。
エジプトから伝わってきた情報によれば、シーシ国防相もテロの対象になっていたということであり、それが叶わなかったために、イブラヒム内相が狙われたということだ。
現場の写真がインターネット上に掲載されていたが、相当強力な爆弾を使ったもののようだ。現場の惨状を伝えるニュースには、ガード要員の体の一部が飛散していた、とも書かれてあった。
事の真相はわからないが、この事件はムスリム同胞団のメンバーが、起こしたものだという認識が、エジプト国内外で固定しているようだ。ムスリム同胞団を脱退したハルバーウイ氏は『計画ではシーシ国防相とイブラヒム内相が、テロの対象に挙がっていた。ムスリム同胞団は1940年代から、暗殺を得意としてきている組織だ。』と語っている。
問題は今回のテロ事件が起こったことにより、シーシ国防相を中心とする新政府は、徹底してムスリム同胞団を始めとした反政府組織を叩く、口実を得たということだ。ムスリム同胞団がテロを起こす組織であり、社会の治安を脅かすものだ、という非難がまかり通る事になろう。
その対応策として、軍や警察は合法非合法の対応が、出来るようになるということだ。当然、逮捕は何の口実もなく実施されることになろう。ムバーラク政権の時代には、ムスリム同胞団のメンバーが、定期的に逮捕され、拷問を受けて後、帰宅させられていたという話がある。
ムスリム同胞団はナセル大統領の時代の、軍による圧政の再開を許し、自身の政治的自由を抹殺してしまったのではないのか。新政府は当初、ムスリム同胞団の新しい時代への参加を、呼び掛けていたが、これでその道は完全に断たれた、ということであろう。
ムスリム同胞団内部に、穏健路線を主張するグループが存在している、という情報が流れてきているが、彼らの動きは表面化せず、ムスリム同胞団の強硬路線だけが、表面化していくことになろう。
その行き着くところは、ナセル時代のムスリム同胞団に対する、弾圧政治への回帰であり、一党独裁的政治への回帰ではないのか。ナセル、サダト、ムバーラク政権は、いずれも一党独裁的な構造であったと思う。
ムスリム同胞団組織はそれを、呼び戻してしまっているということだ。