『アラブの春とは全く違う現象が起こり始めている』

2013年8月18日

 

チュニジアで始まったアラブの春革命が、新しい段階に入ったのが、エジプトで起こっている現象だと捉えがちだが、どうもそうばかりとは、言えないのではないかと思えてきた。

 昨日書いた原稿について、何人かの友人に感想を問い合わせたのだが、ある友人は『ムスリム同胞団がそれほど力を持つ組織だとは思えない』という意見だった。そのことについては全面的に賛成なのだが、一定の現象が起こり始めると、それは意図した人や組織の意思とは、関係の無い方向に流れていく、危険性があるのではないか。

 またある友人は、次のような感想と意見を送ってくれた。ちなみに彼はカイロ滞在10年の人で、エジプト人の心理や国柄を、熟知している人物だ。

 『私の率直な感想を述べさせていただきます。まず欧米諸国はサダト大統領が暗殺された前後のモスレム同胞団の動きを忘れたのかと疑問に思います。何故、ムバラク大統領が長い間、封じ込めの重しとして存在し、その間エジプトは繁栄の道を歩み続けたのか。何故、エジプトは西欧諸国の盟友として、又アフリカ諸国の盟主としてあり続けたのか。
貧困の差が広がった事は確かです。そこをムスリム同胞団が埋めて行き、今回のモルシー大統領、ムスリム同胞団政権の誕生という事態になった事は否定しませんが、基本的に政権を維持できる組織ではないのでしょう。

デモで多くの人が亡くなっている事は事実です。しかし、我々の常識で考えるデモではないと感じています。双方が武器を持って撃ち合うという状態で、
日本や西欧の感覚から離れた物の様です。軍としては内乱の鎮圧と言う考え方です。デモの参加者が死亡したと言う事で、単純に判断すべきことではないのでしょう。
原理主義者と言うと極端は信条主義者と言う感覚で見ますが、ムスリム同胞団はオブラートに包まれた原理主義者だと言う事は確かでしょう。今日のニュースではエジプト政府が、ムスリム同胞団を非合法組織として認定する、というニュースが流れました。非合法化はムバラク時代に戻るだけで特に目新しい事ではなく、本来蓋を開けてはいけない事に、又気付いたと言う事だけでしょう。』

 アラブの春革命は多少の犠牲は生んだものの、基本的には平和であり、穏健な権力への抵抗であったと思われる。しかし、今回の場合は最初から武力衝突を前提に、進められていたのだ。ムスリム同胞団は権力を掌握した段階で、武器を大量に買い込み、刑務所を破壊して原理主義者や凶悪犯を、シナイ半島に送り込み、ハマースとの連携を進めていた。

 カイロのアダウイーヤや、カイロ大学のそばのナハダ広場での座り込みデモは、軍が行動を起こすことを、初めから想定して準備されていたのだ。つまり、相当数の犠牲者が出ることは、ムスリム同胞団としては織り込み済みだった、ということだ。

 ムスリム同胞団はその闘いの中から、何らかの政治的なメリットを引き出そうと考えたのであろう。簡単に言えば、世界の耳目を引き付け、収監されているモルシー氏を、大統領に復帰させようと考えたのであろう。そうなれば、ムスリム同胞団のその後の力は、エジプト国内ばかりか世界中で、認知されたと思われる。

 しかし、いったん座り込みのデモが始まり、多数の犠牲者が出始めると、ムスリム同胞団は次の手を打つことに失敗し、新たな展開への作戦が浮かばなくなったようだ。結果的に座り込みのデモは、多くの犠牲者だけを生み、何の効果も成果も無く展開しているのだ。

 ムスリム同胞団の幹部と親しい、カイロ在住のエジプトの友人の話によれば、幹部の間でも次にどうすべきかが、分かっていないということだ。日本語には右往左往という言葉があるが、いまのムスリム同胞団幹部たちは、まさにその状態であろう。

 他方、軍とエジプト臨時政府は、ある程度の方向性が、見えているのではないか。そうなると、軍が優位に立っていると判断する方が、正しいのではないか。もしそうであるとすれば、エジプトの今回の混乱は、比較的短期間で収まるのではないか。

 同時に、ムスリム同胞団の暴走を阻止し、ムスリム同胞団の影響力が地域全体に広がることを押さえ込んだ、エジプト軍は中東地域と世界から評価される時が来るのではないかと思われる。エジプトが一日も早く、冗談の好きな、笑顔が素敵な、優しさのエジプト人の国に戻ってほしいものだ。