『ナセル主義復活の亡霊が動き始めている』

2013年8月 8日

 昨日の中東TODAY で、エジプト社会にナセル待望論が出始めている、という内容の事を書いたが、同じような捉え方をしている人たちがいるようだ。イギリスのガーデアン紙でも『軍のトップはもう一人のナセルか』といった内容の記事が掲載された。

同じように、エジプトの人権委員会のトップである、ハーフェズ・アブー・サアダ氏も『マケイン氏はエジプトがナセル主義に回帰することを懸念』という内容の発言をしている。

取りようによっては『エジプトがナセル主義に回帰』というのは、マケイン氏がエジプトの現状をより複雑にするために、意図的に持ち出したフレーズかもしれない。

  そこで、誰が第二のナセルになるか、ということになるが、述べるまでもなく、現在のナセルの二代目は、シーシ国防大臣であろう。彼とナセルの写真を刷り込んだポスターが、カイロの街のあちこちに張り出され、売られているとういうことのようだ。

 それではナセルはどんなイメージで、エジプト人に受け止められているというのだろうか。以前エジプトで流行した笑い話に、次のようなものがあった。『ナセルはミッシュをエジプト国民にもたらしてくれた。サダトはギッシュをエジプト国民にもたらしてくれた。』というものだ。

 ミッシュとはチーズの一種のことであり、ナセルが大統領になった後は、貧しい庶民もミッシュが食えるようになった、という意味だ。それではサダトの場合のギッシュとは何かというと、ギッシュとはアラビア語で『いかさま』『ごまかし』という意味だ。

 ナセルの時代の特徴は、アラブの統一であり、反欧米であったろう。そうであるからこそ、ナセルはアラブ全体の英雄になれたのだ。そしてそのことは、エジプト人のプライドを、守ってくれたのだ

当初、ナセルと欧米の関係は、それほど悪くなかったように記憶する。1956年に起こった第二次中東戦争つまりスエズ戦争時、アメリカはエジプトを支持していたのだ。それが次第に悪くなっていったのは、アメリカの過剰なエジプへの関与に、あったのではないか。

そしてついに、ナセルはエジプトと外国との関係で、明確に敵味方を区別することになっていった。友好を持って近寄る者は友として受け入れ、そうでない者は拒絶する、という形になっていった。

今アメリカが行っている、エジプト内政への関与の仕方は、過剰であると同時に、意図的にエジプトとアメリカとの関係を、悪化させるもののような気がしてならない。そうした状況のなからは、第二のナセルが誕生しても、何の不思議もなかろう。