『アラブの連鎖。エジプトからチュニジアへ』

2013年7月28日

  

 チュニジアの反体制派リーダーである、ムハンマド・ブラヒミ氏(58歳)が暗殺されるという事件が、725日に首都チュニスで起こった。しかも、彼の暗殺は妻と末娘の見ている前で起こっただけに、ショックは大きかったであろう。

 ムハンマド・ブラヒミ氏はチュニジア憲法委員会のメンバーであり、ナハダ党政権に対して、厳しい見方をしていた。彼は暗殺時に、11発の弾丸を浴びせられていた、ということだ。

 反体制派の人たちに言わせると、今回のムハンマド・ブラヒミ氏の暗殺は、信じがたい悲劇ということになる。それはそうであろう、彼の前にも反政府派のリーダーが暗殺されているのだ。

 ショクリ・ビルイード氏がその人であり、彼は左翼の運動家だった。彼の暗殺はチュニジアの各労働組織に、怒りを生み出し、多くの労働団体がストライキに入っている。そのなかには公共交通組合、公務員組合、商業組合なども含まれている。

 何故いまチュニジアで、全国規模の反政府運動が、燃え上がっているのであろうか。それは、エジプトの例とあまり違わないのではないか。チュニジアの場合も革命を起こしたのは世俗派だったが、組織の結束力に勝るナハダ党が、結果的に権力を掌握し、世俗派を押さえ込むことになった。

 しかし、経済問題、失業問題は全く改善しなかった。その逆に、イスラム的な厳格さだけがチュニジア国内で、広がって行ったのだ。ナハダ党よりも厳格なイスラム原理主義の組織は、大学や公共の場でイスラム的(?)服装を要求したり、表現や芸術の自由を妨害したりもした。

 今回、チュニジアで反政府の運動が再燃したのは、反体制派の闘士が暗殺されたことに合わせ、エジプトでの第二革命の動きが、あったからであろう。アラブ世界では同一言語であることから、アラブの他の国で起こっていることが、言葉の壁は無く、テレビやラジオ、新聞雑誌を通じて伝わるのだ。

 チュニジア政府は今後どう対応するのであろうか。力による弾圧か、話し合いによる平和的な解決か。