『アラブの流れは変わったのではないのか?』

2013年7月14日

 

 エジプトの第二革命から軍の台頭を前に、ヨーロッパの幾つかの国は、軍によるクーデターであったと非難し、その非難では効果がない状況だと判断すると、ムスリム同胞団の幹部の釈放、それがだめなら赤十字の職員による幹部との面会要請、という段階に変ってきている。

 このヨーロッパの動きを、アメリカも消極的に認めているようだが、だからといって何がどう変わるのだろうか。アレキサンドリアの青年がBBCのインタビューに答え、自分が想像していたよりも、穏健な推移で済んだと言っていた。

 その通りであろう。ではなぜ比較的穏健な推移で済んでいるかと言えば、タイミングよく軍が台頭したからであろう。そうでなければ、流血の大惨事になっていたと思われる。

ムスリム同胞団も世俗派も、それなりに武器を準備していたものと、思われるからだ。武器があの100万人を超えるデモで持ち出されていたら、死傷者が多数出ないはずがない。

 もうひとつ言えることは、アラブの春革命で旧体制を打倒した大衆は、イスラム色の強い集団に、革命後の主導権をとられた。それはチュニジアでも同じことだったし、途上にあるシリアでもそうだ。いずれもムスリム同胞団が、組織力を発揮したのだ。

 しかし、大衆はムスリム同胞団よりも数において、絶対的に多かったということがある。そのムスリム同胞団には治安の維持も、経済の改善も、失業問題の解決も出来なかった。そうした状況に不満を高めた、世俗派の大衆の反動が始まったとき、ムスリム同胞団の組織力は、力を示すことが出来なかった。

 確かに、決定的な変革を生み出したのは軍だが、そのきっかけを作ったのは世俗派の大衆だった。世俗派によるデモがあれだけ、大規模にならなかった場合、軍が出動したとは思えない。私が軍関係者から聞いた話では、デモの規模が一定以上になった場合に行動する、というものだった。

 エジプトの体制がモルシー体制から新しい体制に変わった後、湾岸諸国は大金をエジプトに援助すると発表した。もちろん、その裏にはアメリカがいる、と考えるべきだろう。

 エジプトの今回の変革は、チュニジアでもナハダ党体制打倒の動きを、起こさせる方向に動き出している。シリアでも反政府勢力が、腰砕けになり始めている。これらの変化を見ていると、どうやらエジプトで始まった変革は定着し、アラブ諸国に影響を及ぼし、新たな流れを作っていく、と考えるべきではないのか。