『ムスリム同胞団は革命時何をしたのか』

2013年7月13日

 ムスリム同胞団は第二革命時、何をしたのかということを、日本人はほとんど知らないだろう。実は結構受け入れられない、非人道的なことをしているのだ。

 アレキサンドリアでは19歳の少年が、ムスリム同胞団員によってビルの屋上から、突き落されて死亡している。突き落とした側の人物が、ムスリム同胞団員であり、彼は黒いユニフォームを着て、ナイル川沿いの道路を仲間たちと、ジョギングしている映像が流されている。

 つまり、ムスリム同胞団内部には実力行使をする、ミリシア・グループが存在しているということだ。決して貧民にパンなどを配る、慈善だけをする団体ではないのだ。

 第一革命時には、ガザのハマース・メンバーが加わり、カイロの北部にあるワデイ・ナトルーン刑務所を破壊し、モルシー元大統領や、イッサーム・アリヤーン、カタートニーといったムスリム同胞団の幹部が脱獄し、彼らはその後、エジプト政府の要人になっていたのだ。

 彼らが逮捕投獄されたのは、128日らしいが、その後2日で脱獄したということだ。ムバーラク時代がまだ終わっていない、ドサクサの混乱の時期であり、彼らが投獄された理由は、明らかになっていないようだ。

 しかし、法的には彼らは容疑者か、犯罪者であろうから、正式な取調べと裁判が必要であり、その後に無罪が明らかになってから、市民としての行動が認められる、ということではないのか。

 第二革命後に大統領警護隊施設前で起こった、50人を超える犠牲者の発生は、軍側の発砲によるような報道がなされたが、必ずしもそうではあるまい。現場の映像を見ていると、散弾銃か空気銃で撃たれたと思われる、小さな傷を負った人たちが多数いた。

 軍が散弾銃や空気銃を用意し、それでデモ隊を威嚇したとは考え難い。この事件では、軍がもっぱら悪役のように報道されたが、第三者のグループが発砲したという報道があり、彼らは黒い服装をしていた、とも報じられている。

 この事件の後、カファル・シェイクの住民がムスリム同胞団に対して、デモに住民を狩り出さないよう、抗議の動きをしている。そのことは、誰が発砲したのかを彼らは知っていた、ということではないのか。

 平和な日本の住民には想像もつくまいが、革命や混乱のなかでは、自分の側の人間を犠牲にし、それをあたかも敵側がやったように宣伝し、事態を有利な方向に導くということは、幾らでもあるのだ。

 未確認情報ではあるが、ムスリム同胞団は大量の重火器を、すでにリビアを始めとする、周辺諸国から入手している、という情報もある。それがエジプトを第三革命に、導かないことを祈りたい。

ただ、今のエジプトは良かれ悪しかれ、軍が完全に国内をコントロール出来なければ、ガザのハマースを始め、外部から危険分子が入り込み、シリアのような内戦に、発展する危険性があることは否定できまい。それをロシアのプーチン大統領は指摘し『エジプトがシリアと同じようになることを懸念する。」と語ったのであろう。