エジプト軍はムスリム同胞団と、世俗派との衝突が起こらないように、軍事行動に出た。そうは言っても実際に、武力を行使したわけではない。軍が宣言をしただけであり、ムスリム同胞団の幹部を、拘束しただけだった。
このエジプト軍の行動を、クーデターと呼ぶのには無理があろう。もし軍が動かなかった場合、ムスリム同胞団と世俗派との間に衝突が起こり、多数の死傷者が出ていたことは明らかであろう。それを迅速な行動で、軍が抑えたということだ。
この大衝突を前に、軍はもうひとつの手を打っていたのだ。それはエジプト国内の混乱に乗じて、ガザからハマースのテロリストが潜入し、デモ隊に対して発砲を始めとする、暴力行為に出ることを阻止したことだった。
2011年1月25日に起こった第一革命では、ハマースがエジプト国内に潜入し、エジプトの刑務所を破壊しハマースのメンバーや,ムスリム同胞団員を脱獄させていたのだ。
エジプト軍は今回の第二革命でも、モルシー政権(ムスリム同胞団)がハマースのテロリストを使うことを恐れ、事前に手を打った。もちろんそれには、モルシー大統領の許可が必要であった。
エジプト軍はシナイ半島でエジプト兵が、何者かによって人質に取られた、それを奪還しなければならない、したがってモルシー大統領に許可して欲しい、と申し込んだのだ。
モルシー大統領は軍の要請を断るわけにはいかなかったので、軍のシナイ半島における、人質奪還作戦を許可することになる。エジプト軍は人質奪還という名目で、精鋭部隊をシナイ半島の北部に送り込んだ。そこは述べるまでもなく、ハマースの拠点であるガザに隣接する地域なのだ。
こうしてエジプトで第二革命が起こる前に、ガザのハマース側はシナイ半島へのルートを、遮断されたのだ。このため第二革命勃発時に、ハマースがテロ集団をエジプトに送り込む作戦は、不可能となったわけだ。だから第二革命では死者が、ほとんど出なかったのだ。
問題はこれからだ。ムスリム同胞団は徹底抗戦の構えのようだが、そうなればムスリム同胞団のミリシア部隊が、軍事行動に出る危険性が高まろう。加えて、同じムスリム同胞団の組織であるハマースがガザから、援軍を送ろうとするであろう。それを事前に阻止しなければならないという、困難な作業がエジプト軍には残っているのだ。
7月12日イスラエル政府は、エジプト軍がシナイ半島に展開することを許可したが、その目的がガザのハマース対応であることを、イスラエルは十分に分かっているから許可したのだ。キャンプデービッド合意ではエジプト軍が自国領土とはいえ、勝手にシナイ半島に軍を展開することは、出来ないことになっているのだ。
当面のエジプト軍の敵は、同じエジプト人であるムスリム同胞団であり、同じアラブ人のガザのハマースなのだ、これがアラブの現実なのであろう、皮肉な話ではないか。