アラブの幾つもの国で革命が起こり、幾つもの国でいま革命が進行している。それを見ていて感じるのは、アラブの人たちは他の国の例に学ばないのか、ということだ。
日本人の常識で考えれば、他の国が革命を起こし、体制を打倒した後に、大混乱に陥っているのを見れば、自分の国で革命を起こすことをためらうだろう。革命前と革命後の状況を見れば、誰にも革命後の方が酷くなっていることが、分かるからだ。
チュニジア、リビア、エジプトなど革命を先行した国は、革命が達成されてから2年以上の時が過ぎているが、革命の成果ではなく革命の混乱が、ますます酷くなっているのだ。
国民の生活状態を良くするために行われたはずの革命は、国民により一層の貧困と、より一層の混乱と暴力をもたらしているのだ。革命前にはかろうじて手に入れることが出来ていた、最低限の医療や食料が、今では手が届き難い状態になっている。
言論の自由もしかりだ。革命が達成された国では、機関銃を担いでいなければ、何も言えなくなっているのではないか。つまり、言論の自由は権力や武器を手にした者たちにのみ、与えられるということだ。
権力も武器も手にすることが出来なかった者たちは、自分の住む家を破壊され、自分の父祖のから追い出され、難民となって周辺諸国に住むことになった。そこには仕事があるわけは無く、受入国や国際機関の援助で、日々糊口をぬらしているのだ。
援助は十分ではなく、新たな悲劇が始まっている。以前に書いたが、イラク国内が内戦で混乱しているとき、多くのイラク国民がシリアやレバノンに、難民として逃れた。
彼等は仕事が無く、一家の長が家族を養うことは不可能だった。結果的に家族を代表して、若い娘が夜の仕事に就いたのだが、そのことが知れ渡ると、家族の男たちは一家の不名誉として、彼女たちを殺したのだ。一家の名誉を守るためだとして、この殺人は『名誉の殺人』と呼ばれ、社会的には非公式に認められ、殺人者たちが裁かれることは無かった。
これとは形は異なるが、今回のシリア内戦下で、ヨルダンに逃れた家族の場合は。家族が食べていくために、若い娘たちが臨時婚をさせられている。イスラム法的には認められるのだが、その実態は一定期間契約した、売春以外の何物でもないのだ。
エジプトからも悲しいニュースが伝わってきている。世界的に観光地として知られる、エジプト南部のルクソールで、女性がよからぬ行為をしたということで、家族の男たちが彼女を殴打し、毛布に包んでナイル川に捨て、殺害したというのだ。
エジプトがムスリム同胞団という、イスラム原理主義組織によって権力を握られたいま、このルクソールの名誉の殺人は、結果的には無罪になるのではないのか。
チュニジアの母親たちは、息子たちがジハード(聖戦)の戦士として、シリアの戦闘に参加するのを止めて欲しい、とムフテイ(宗教最高権威者)に懇願し、デモを行っている。チュニジアのムフテイは賢明にも勇敢に『シリアの戦闘に参加することはジハードではない。』と宣言している。
ジハードといえば聞こえはいいのだが、その実態は戦闘が仕事の出稼ぎなのではないのか。シリアに向かうジハーデスト(聖戦の戦士)らは、月額で800ドルを手にすることが出来ていると言われている。この金額は革命後に仕事が無い国の若者たちにとっては、まさに『高級優遇』の仕事であろう。
戦闘に慣れているといわれる、レバノンのヘズブラの戦闘員は、既に75人以上がシリアで戦死している、と伝えられている。そのことを考えると、戦闘経験の無いチュニジアの若者たちは、何処まで戦えるのか、あるいは何処まで自分の命を守れるのか疑問だ。
革命という言葉、ジハード(聖戦)という言葉は、人を酔わせる麻薬のような効果があるのだろう。しかし、その麻薬の後遺症はきつく、しかも長い期間に渡って、及ぶのではないのか。