イスラム教徒にとって、コーランとハデースは最も重要な本だ。すべてのイスラムの法は、この二冊の本を主要な法源としている。コーランは述べるまでもなく、アッラーの言葉(命令)であり、ハデースは預言者ムハンマドが言ったこと行ったことをまとめた本だ。
毎週金曜日にはこの二つの原典から、モスクのイマームたちが教えを引き出して説法し、それをイスラム教徒たちは聞いて、日々の生活に活かすというものだ。したがって、コーランは述べるまでもないが、ハデースの内容も、多くのイスラム教徒たちが、ある程度は知っている。
しかし、最近では預言者が生存していた時代から、1600年以上もの時間が経過しており、実際に生活に当てはまるとは、限らなくなってきている。そこでコーランは別として、ハデースを考え直そう、という動きが起こってきた。
トルコのアンカラで17000あるとされる、ハデースから数百を選び出し、新たな解釈をしてみよう、という動きが起こった。まさにこの動きは、キリスト教世界のマルチン・ルターの、宗教改革の動きに通じる、と表現する人もいる。
他方、アラブの学者のなかには、ハデースの次はコーランに解釈を加えようというのか、という皮肉めいたことを口にする人たちもいる。確かに保守派の学者たちにしてみれば、嫌みの一つは言いたいところであろう。
こうした批判的な学者がいることは、トルコの学者たちも分かっており、だいぶ前からエジプトのアズハル大学の学者たちと相談しながら、この計画は進めて来ていたようだ。そのことによって、大きな間違いはないという保証を、付けようと思ったのであろう。それだけエジプトのアズハル大学には、イスラム世界で権威があるということであろう。
イスラム世界といっても均一ではなく、女性たちの服装についていえば、スカートをはく国もあれば、頭からつま先まですっぽり包む国もある。アルコールについても同様で、おおらかな国もあれば、絶対禁止の国もあるのだ。
今回のハデース新解釈本は、7月ごろからトルコの印刷会社でプリントされ、ラマダン月には書店に、並ぶ見通しだということだ。
今回出版されるハデース新解釈本は、当面のところトルコ国内向けであり、それにドイツのようなトルコ人移住者の多い国に送られるということらしい。したがってトルコ語版、トルコ語ドイツ語版、そして元オスマン帝国版図の一部であったボスニアのイスラム教徒にも送られるようだ。
現段階では、アラビア語版や英語版は検討されていないが、アラブやイギリスなどから、出版の問い合わせが来ているということだ。この試みがイスラム世界で受け入れられ、拡大していくとすれば、大きな宗教的革命が起こる、ということであろう。それだけに大きな危険も、伴っているということだ。