クルド人という民族は、どうも悲劇が好きなのではないか、と錯覚してしまう。クルド人の総人口は3千万人とも、4千万人とも言われているが、これまで国を持った歴史がない。第二次世界大戦の後ほんの半年ほど、クルド国家が創立されたことはあるが、間もなく姿を消ししている。
その後はトルコの東部、アルメニア、イランの北西部、イラクの北部、そしてシリアの北部に散在してきている。当然これまで、幾つものクルド人独立の為の組織が結成されてきたが、資金や武器の入手のために、結果的には対立する国家同士に利用されたり、アメリカやイスラエルに利用されてしまっている。
トルコが手を焼いたクルドの独立組織PKK(クルド労働党)は、イスラエル、アメリカ、シリアなどの支援を受けてきているし、それらの一部は未だにPKKに、支援を送っているとも言われている。
そのクルド人がシリアの内戦のなかに巻き込まれ、戦闘に参加せざるを得なくなり、その流れのなかから、分離独立の機運も生まれ始めた。それはそれで結構なことなのだが、そう簡単でもないようだ。
その最大の壁は、同じクルド人であるバルザーニ議長だ、彼は北イラクのクルド地区を牛耳っており、クルド自治政府なるものを運営している。その地域は大量の石油ガスを生産するため、ここを抑えているということは、他のクルドに比べ、優位にあるということだ。
そのため、バルザーニ議長は資金的に余裕があり、他のクルド組織に応分の支援をしているということのようだ。もちろん、支援を送るのは、バルザーニ議長が他のクルドをまとめて、より大きな力を持とう、と思っているからに他ならない。
シリアで誕生したクルド組織は幾つかあるが、それらのクルド組織はバルザーニ議長のリードによって合同会議を開催し、お互いに協力して目的を達成していこう、という方向が定められた。
しかし、最近になってクルドの民主統一党(PYD)が、飛びぬけた行動をしている、とバルザーニ議長が非難を始めた。シリアのクルド組織にはPYDばかりではなくKNC(クルデスタン民族議会)というものもある。
問題が起こったのは、北イラクのクルド自治政府と関係がいい、他のシリア・クルド人数十名が、PYD によって人質にとられたことに始まる。彼ら人質の総数は75人で政治活動家たちであったということだ。
これらの人質たちはその後釈放されたが、クルド自治政府のバルザーニ議長にとってはきわめて不愉快な思いをしたのであろう。
他方、PYD代表のサーレハ・ムスリム氏は『シリアのクルドはシリアに、イラクのクルドはイラクに住み、独自の方針でいけばいい。我々はEUのようなクルド地域の、関係を構築すべきであり、バルザーニ議長の主導の方式は、採るべきではない。』と語っている。
サーレハ・ムスリム氏の主張は、それで結構なのだが、クルドのこれまでの歴史を考えると、クルド人が一体となって動いた方が、得策ではないかと思えるのだが。多くのクルド組織のリーダーたちが、自分をヒノキ舞台に上げようとすればするほど、ヒノキ舞台から遠ざかってしまう、ということを考えるべきではないのか。