『リビアのカダフィ体制打倒は米英の策略だった』

2013年5月21日

 事情通の間ではよく知られたことなのだが『リビアのカダフィ体制が打倒されたのは、アメリカとイギリスの介入によってであった。』と明言する専門家が増えてきている。

 それだけリビアの場合は、アメリカとイギリスの介入が、明白であったということであろう。加えて、その後のリビアの状況が、あまりにも酷過ぎるからでもあろう。

 アメリカやイギリスが行った、リビア革命時の空爆回数は、9600回にも及んでいたのだ。

 カダフィ大佐が青年によって、銃殺された後のリビアは、カオス状態であり、政府は何も実行できていない。街中には銃を担いだ若者たちが跋扈し、軍や警察に就職させろ、と息巻いている。

 リビアを二分、あるいは三分する考えを持っている人たちもおり、ベンガジは全くトリポリの意向を、受け付けない状態だ。トリポリタニア(リビア西部)とキレナイカ(リビア東部)、そしてフェッザーン地方(リビア南部)に分割するというのだ。

 革命後のリビアは民主化どころか、日々の生活に不安が付きまとう状態のようだ。トリポリやベンガジなど大都市では、時折爆弾テロが起こってもいる。こうした状態に嫌気をさした若者の一部は、映画館にこもったきりになっている、という報告もあった。

 そもそも、アメリカやイギリスは何故リビアに介入し、カダフィ体制を倒したのであろうか、という基本的な疑問に対する答えは『石油』の一語に尽きそうだ。

 そのために一国を破壊し、その国の国家元首を殺し、その後の混沌のなかで、多くの国民を犠牲にするということだ。リビアの混乱は今後も、当分の間続くのではないか。それは他のアラブの春革命が起こった国も、同様に混乱が続くことになろう。

 石油とは多数の人の血を吸ってでも、手に入れるべきものなのであろうか。石油に代わるエネルギーの話が持ち上がっても、なかなかそれが具体化しないのは、石油によって膨大な利益を、手にする人たちがいることと、他のエネルギーに比べ、石油が一番効率の良い、エネルギーだからかもしれない。

石油の時代が終わった、オイルシェール、シェールガス、太陽エネルギーと騒がれているが、それは現実の話ではないのではないか。

 原発も石油に次ぐ、便利なエネルギーなのかもしれない。いったん建設してしまえば、原発は長期にわたって利用が可能だ。しかし、その後の処理は、必ずしも簡単ではないし、もし事故が起これば、極めて危険な結果となる。

 石油を抑えるために起こす戦争や紛争、革命によって多くの人たちが血を流すわけだが、原発も同じような対価を人類に要求しているのかもしれない。