2003年3月、アメリカ軍はイラクに軍事侵攻し、あっという間にサッダーム・フセイン体制を打倒した。その後1年程して逮捕されたサッダーム・フセイン大統領は、裁判にかけられ絞首刑に処せられた。
サッダーム・フセイン大統領は絞首台に登る前に、死刑執行人たちが叫んだ『地獄へ落ちろ』という罵声に対し、静かに『いまのイラクが地獄ではないのか』と応えている。
その時から既に10年以上の歳月が経過したが、未だにイラク国内は不安定な状況にあり、各部族、各宗派間の闘いで、毎日数十人の死者を出している。車に積まれた爆弾が、首都のバクダッドばかりではなく、地方都市でも爆発しているのだ。
大きく分けて、イスラム教スンニー派とシーア派、そしてクルド民族が同居しているのがイラクだ。北部の石油資源が豊富な地域は、クルド自治政府が自分たちのものだと主張し、イラク政府はそれを否定している。
当然のことながら、クルド自治政府とイラク政府との間には、軍事的緊張が続いているし、時折衝突してもいる。また表立った衝突ではない、テロによる攻撃も、双方から繰り返して行われている。
スンニー派とシーア派の間でも、同様に政治の主導権をめぐって、衝突が続いている。加えてシーア派内部にも幾つかの派閥があり、シーア派同士も殺しあっているのだ。
アメリカは『イラクのサッダーム・フセイン体制は国民を弾圧している』『民主的ではない』『大量破壊兵器を開発し、かつ所有している』と非難し、それを口実にイラク侵攻をしたのだが、大量破壊兵器はみつから無かった。
イラクのような多民族多宗派国家の統治は、簡単ではない。いずれの宗派も民族も、自分たちの利益を隙さえあれば、拡大したいと望んでいるからだ。サッダーム・フセイン体制が独裁的であり、国民を弾圧していたことは事実だが、それは必要悪の部分も、多分にあったのだ。
そうした国情では民主主義よりも、国内安定の方が優先されることは、少し考えれば分かることだ。民主主義を軽々に叫ぶよりも、各宗派や民族の代表たちに、ある程度任せる形のほうが、リスクは少ないのだ
当然のことながら、そのトップに座る大統領は、然るべき権限と威厳を持たなければ勤まらない、ということでもある。つまり、アラブ世界では大統領や国王は、怖い存在で無ければ、勤まらないということだ。
この単純な現実を無視した、アメリカのイラク民主化戦争は、結果的にパンドラの箱の蓋を、開ける結果となった。そして、その付けはイラク国民が毎日の命の犠牲で、払わせられているのだ。多くの家族が家族を失う生活が、もう10年以上も経過している。これはサッダーム・フセイン大統領が死に際に予言した『いまのイラクが地獄』ということなのであろう。
そして彼が処刑されて、約10年の歳月が経過すると、イラク戦争とその後の状況を忘れたかのように、チュニジア、リビア、エジプトで革命が起こり、独裁者と言われた3人の元首が、その座を追われている。
そして、シリアでは内戦が2年も続いている。150万にも達しようという、膨大な数の国外に逃れた難民、そして国内で生地を離れ、他の場所へ危険から逃れる難民の数は、400万人にも達しているということのようだ。
シリアの内戦は結果的に国家を分裂させ、多数の死傷者を出し、不具者を産むということであろう。それが民主化の代償なのだろうか。それがイスラムのジハード(聖戦)なのだろうか。冷静に考えれば答えはおのずから分かろう。