60代以上の人にはなじみの深い、パレスチナ人によるハイジャック事件が続いたのは、1960年代の終わりから1970年代の、初めにかけてであった。ライラ・ハーリドという名の、PFLPの女性闘士はハイジャック犯でありながら、世界的に注目される人物となっていいたのだ。
彼女はその後、ヨルダン川西岸地区でパレスチナ組織の幹部の一人として、恵まれた生活を送っているようだが、ハイジャックに加担した闘士たちが、皆ライラ・ハーリド女史と同じ運命をたどっているようではなさそうだ。
つい最近、カナダから追放されることが決まった、PFLPの元闘士マハムード・イーサ氏がいる。彼は1968年にアテネでエル・アル機(イスラエル航空機)をハイジャックし、レバノンに移動しようと思ったが、アテネで逮捕され、その後1970年には、17年の受刑判決が出された。
しかし、人質交換により1年後には、アテネの刑務所から出所することができている。そして1987年、偽の身分証明書を使い、カナダに入国したが、カナダ政府は彼を国外追放するよう、裁判にかけていた。
今回彼に降りた判決は、国外追放であり、再審はない模様だ。マハムード・イーサ氏はカナダでレバノン人女性と結婚しているが、幸せな生活を営んでいたのであろう。今回カナダの裁判所が、マハムード・イーサ氏の国外追放を決定したのは、彼の妻がレバノン国籍であることから、レバノンに追放するということのようだ。
マハムード・イーサ氏がレバノンで、何らかの不都合な立場に立たされれば、人道的な見地から、そうもいかなかったろうが、彼は何の問題もなくレバノンで居住できる、とい判断が今回の判決を、出させたようだ。
しかし、1968年にハイジャックをしたということは、彼はすでに70歳前後の年齢に、達しているのではないだろうか。そのことは、これまで生活してきたカナダとは、全く環境の異なるレバノンで、生活することになるわけだが、彼にとって決して楽ではない、ということではないのか。
パレスチナ問題を世界に認知させる手段として、パレスチナ解放組織はPFLPによる、ハイジャックを奨励していた。そして今、パレスチナ自治政府は世界中から援助金を、集めることができるようになり、幹部は湾岸の王侯貴族同様の、ぜいたくな生活ができるようになっている。
マハムード・イーサ氏がレバノンに追放された後、パレスチナ自治政府はどのような対応を彼にするのであろうか。単に難民の一人として、レバノンに留まるままに放置するのであろうか。あるいは何らかの支援を送るのであろうか。70歳前後という年齢は、すでに第一線で働ける年齢ではないはずだが。