サウジアラビアにあるメッカは、世界のイスラム教徒にとって、最も神聖な場所だ。イスラム教では5つの行動義務があるが、そのなかの一つにサウジアラビアの聖地メッカへの巡礼がある。『一生に一度行ける者はメッカ巡礼に行け』とあるのだ。
私がメッカに巡礼に行ったのは1974年であり、ハッジではなくオムラという小巡礼だった。その頃のメッカはまだそれほど人間の手が及んでおらず、砂漠の道を進んでいくと標識の石があり、その石には『これより先はムスリム以外は入るな』と書いてあった。
緩やかな谷のような下り坂を、降りたところがメッカだった。そして、メッカの礼拝の場に入り、カーバ神殿の周りを回ったことを覚えている。人の数も多くなく、午後のメッカの神殿はのんびりしていた。
しかし、メッカはさすがに聖地だと思ったのは、そのカーバ神殿のそばに立っていると、アッラーが自分を天空に高く、引き上げてしまうのではないか、という不安を覚えた記憶がある。
メッカの周りはまだ、片田舎を思わせるようなたたずまいだった。東南アジアから巡礼に来て、そのまま帰らずに住み着いた人たちが経営する、メッカ土産の店が何件もあった。巡礼に来た人たちはそこで、安い土産を大量に買い求め、故郷に持ち帰りアッラーのご利益がある、と配っているのだろう。
ところが最近は、そうしたのどかな雰囲気、聖地としての雰囲気がまるで感じられない。メッカの神殿は拡大され、電光が夜でも昼のようにともり、何かキャバレーを思わせるような、派手さだけが目立つ。
そして、カーバ神殿の周りの土地には、高層ビルが建てられ、そのうちの一つのビルには、巨大な時計が設置されるようになった。その建物のベランダからは、カーバ神殿のテッペンが見えるのだ。しかも、カーバ神殿をとり囲むビル群は、まるでゲームマシンのような形になっているのだ。
以前、国際会議で会ったサウジアラビアの、元ハッジ大臣に『あれはどうかと思う』と苦言を呈したところ、彼の返事は『土地の値段が上がり所有者は金儲けに走っているんだよ』とあいまいではあったが、私の意見に賛同してくれたようだった。
オスマン帝国がメッカを支配している時代には、半径何十メートル(記憶が不確か)以内の土地には、2階建て以上の建物を建てることが、禁止されていたということだ。そうあってしかるべきであろう。
ところが最近、サウジアラビアの宗教最高権威ムフテイのシェイク・アブドルアジーズ・ビン・アブドッラー・アルシェイク師が、メッカ周辺の更なる開発に、許可を出したというのだ。そこには古いイスラムの保存しておく価値のある、幾つもの建物が建っているというのに。
サウジアラビアのワッハーブ派はイスラム建築物や、イスラム遺跡に対して全く評価していないため、預言者ムハンマドにまつわる建物や遺物は、相当破壊され捨てられてしまった。
かろうじて残っているのは、オスマン帝国時代にオスマン帝国によって集められたものだ。預言者にまつわるあらゆるものを、ありがたがるのも問題だが、捨てられたり破壊されるのもどうかと思う。ましてや破壊して建てられるビル群が、金儲けを目的とするとあっては、開発という名目であっても、賛成しかねる。