この時期にというべきか否かは別にして、レバノンのシーア派内では名門の、ファドルッラー師が微妙な発言をした。それは、いろいろなとり方が出来るだけに、実に興味深いものだ。
ファドルッラー師は『イランが全てのシーア派を代表しているわけではない。』と語ったのだ。シーア派の総本山を自認しているイランにしてみれば、不愉快な発言であろう。ファドルッラー師は『レバノン、イラク、イランはそれぞれの考えを持っている。』と言ったのだ。
しかも、ここにはシリアは含まれていない。シリアのアラウイ派はシーア派として、認めないということなのか、あるいはアラウイ派をシーア派の一派と認めながらも、アサド体制に距離を置くつもりなのか。
シーア派とスンニー派については、お互いを敵視するのは正しくない、話し合うべきだと強調した。双方の学者たちは定期的に、意見交換をすべきだとも語っている。そして共通のテーマに絞って、話し合うべきだと言っている。
そして、話し合いによって平和的な関係に、入っていくべきだと言っている。その流れのなかで、トルコはシーア派とスンニー派の、仲介役を果たせる国だとし、トルコはシーア派とスンニー派双方のムスリムを、統一できる国家だと主張している。
シリアについては、自由と権利のための闘いだと語り、派閥戦争に陥る危険があると語った。シリアの情勢が悪化した場合、それは中東地域全体に悪影響を及ぼす、危険なものだとも語っている。
ファドルッラー師のこれらの発言は、シリアのアサド体制が打倒されるという前提で、語っているのではないかと思われる。レバノンにとって、シリアは宗主国的立場にあり、レバノンはシリアの直接的な干渉を、受け続けてきている。そのシリアの内戦を、自由と権利のためのものだと語ったのは、体制批判とも受け取れるからだ。
彼の発言のなかで、トルコが賞賛されているが、それは今後トルコの地域に及ぼす、政治的経済的軍事的力を、認めているからではないか。述べるまでも無く、トルコ国民はほとんどがスンニー派であり、トルコとの関係を、いまのうちから良好なものにしておきたい、ということかもしれない。
同時に、トルイコと並ぶ大国であるイランについては、シーア派の国を代表しているわけではない、と一ランク下げて表現している。それはあるいは、アメリカに対する配慮かもしれない。
ファドルッラー師の発言は考えれば考えるほど、いろいろなことが浮かんできそうだ。そのような発言を、いま彼がしたということは、まさに時代の転換期であることを、無意識のうちに、語っているのかもしれない。