リビアでは相変わらず不安定な状態が続いている。無理もないことだ、カダフィ体制が42年以上も続く中で、リビア国民は民主主義のルールとは何かを、全く経験してきていないからだ。
カダフィ体制下では、ジャマヒリヤ方式なる直接民主主義が取り入れられていたが、それはカダフィ大佐の命令を、国民が形式的に話し合って、決定したことにする方式だった。
カダフィ大佐が殺害された後は部族、派閥、地域など各種のグループが持論を展開し、場合によっては武器を持って主張している。したがって、いまリビアで政治の中心的役割を果たそうとする者は、常に暗殺の危険にさらされることになる。
つい昨日も、ムハンマド・マグリーフ首相の車両に向けて発砲があり、ムハンマド・マグリーフ首相はかろうじて、暗殺から逃れている。
リビアではカダフィ残党も活動をしているが、これに対し、カダフィ時代の残滓を、全面的に政治の舞台から、排除しようという動きもある。リビア国民会議ではいま、カダフィ体制下でしかるべき地位にあった人物すべてを、追放しようということが話し合われている。
これもまた、新たな武力衝突をリビアの国内に、生み出す原因になるのではないか。リビアではいま、あらゆる改革がなされようとしているが、それらの全てが、新たな対立と暴力、衝突の原因になるということも事実だ。
リビアにはそれ以外にも新たな動きがある。外国から来たイスラム原理主義組織(単なるテロ集団)が、リビアのガス、石油のパイプラインを破壊し,ヨーロッパ大陸に送られることを、阻止しようとする動きもある。この裏には、リビア国民の思惑とは全く関係無い国の、意向が働いているということであろう。
アルジェリアで日本人が犠牲となったテロ事件について『これは欧米間のアフリカに対する新植民地戦争ではないか』ということを書いたが、リビアはその好例かもしれない。