トルコのクルド人が分離独立運動を起こし、武力でその目的を果たそうと考えていた一部が、PKK(クルド労働党)なる組織を立ち上げ、1984年ごろから戦闘を展開してきた。
一時期はトルコに隣接する、シリアに拠点を与えられ、PKK(クルド労働党)のメンバーはそこに集結していた。以来これまでに、PKK(クルド労働党)の攻撃の犠牲になったトルコ人の数は、4万人を超えていると言われている。
この中には当然のことながら、トルコに居住しているクルド人も、多数含まれていたものと思われる。
しかし、 1998年10月PKK(クルド労働党)の議長であるアブドッラー・オジャラン氏が、シリア側の意向でシリアの拠点を追われ、翌年2月にケニアで逮捕され、トルコに連行された。以来、彼はマルマラ海に浮かぶイムラル島に幽閉されて、今日に至っている。
彼とトルコのMIT(情報機関)のトップであるハカン・フェダン長官の交渉が行われ、今年3月21日オジャラン議長は、停戦宣言を行った。
このアブドッラー・オジャラン氏については、幾つもの噂が流れていた。彼はクルド人ではなく、アルメニア人だという説もある。また、彼を育てたのはアメリカの情報機関だ、という説もある。
先日、あるトルコ人と話していたときに、このことが話題になると、彼はアメリカによるPKKへの関与の実態を、トルコ側がアメリカに突き付けて以来、PKKの活動が終息に向かっていたのだということだ。アメリカ以外に、イスラエルもPKKの後ろ立てに、なっていたということだった。
PKKの活動が穏やかになり、アブドッラー・オジャラン議長によって、停戦宣言が出されたことは、トルコのクルド問題が一応収束する、ということであろう。それはアメリカの関与が無くなり、PKKは資金難に直面していたのではないか。
他方、トルコは現在経済発展期に入っており、PKK問題さえ片付けば、トルコ南東部の開発も進むだろう。そのことは、トルコ政府が何度となく強調してきており、トルコの南東部に居住するクルド人の多くも、それを信じていよう。
PKK(クルド労働党)の外国支援の後退と、トルコ側の妥協姿勢、そしてトルコの経済発展が、今回のクルド問題における、大変革をもたらしたのではないか。
こうなると、トルコの経済発展は、今後ますます期待されるようになろう。トルコでは巨大なハブ空港が、イスタンブールの西部に建設される予定になっている。いいことが起こる時は、連続して起こるもののようだ。