アラブの春革命が一番最初に起こったチュニジアでは、いまだに国内的混乱が続いている。先に起こった事件と与党との関係悪化から、ハマド・ジェバリ首相が大統領に対し、辞表を提出した。
先に起こった事件と言うのは、チュニジア左翼のオピニオン・リーダーであったショクリ・ビルイード氏暗殺事件のことだ。彼は早朝に自宅近くで、車に乗っているときに4発の銃弾を、窓越しに受け殺害された。
チュニジア国民はこの暗殺事件を、政府によるもの、あるいは政府が犯人割り出しに本腰を入れていないとしてとして、即座に抗議行動を起こし、チュニジア国内各地は大混乱となった。
それ以外にも、国民の不満は高まっていた。ハマド・ジェバリ首相が進めるはずであった、民主的テクノクラートによる、組閣がうまく進まず、国民の希望する雇用問題解決、物価高騰問題の解決が、全く進まなかったからだ。
結果的に、ハマド・ジェバリ首相は辞表を出すわけだが、与党からも外野からも、彼の辞任に対して撤回要望が出ている。いまのチュニジアには、彼以外に適当な人材がいない、ということなのかもしれない。
チュニジアではいま、イスラム原理主義のナハダ党を中心とする与党内部、より過激なイスラム思想を持つサラフィ組織、そして幾つかの世俗派の国民組織など、幾つもの集団や意見が存在している。問題はこれらの各組織が、独自の意見を持ち、他に対して不寛容であり、加えて、不信感を抱いているということだ。
ある元アラブ人の大使が私の事務室を訪ねて、チュニジアの経済についてコメントしていった。『チュニジアには経済と呼べるべきものがないんだよ。農業や観光もそれほど大きな規模ものではない。ほかには何もないんだよ、、。』そう言う彼の国もいまめちゃくちゃな状態だ。
つまり、チュニジア政府は経済的にしっかりした基盤が無い状態のなかで、革命後のチュニジア経済を、再建しなければならない、ということだ。それは決して簡単ではあるまい。
チュニジアが抱える国民の間の相互不信と不寛容は、リビアの場合でもエジプトの場合でも言えることだ。それはそれらの国の国民も分っているはずなのだが、なかなか歯車が合わないまま、毎日破壊だけが確実に、進んでいるという状態だ。
結局のところ、そうした状態から革命アラブ諸国が抜け出すには、欧米の強い介入と指導が必要だ、ということなのだろうか。それは植民地時代への逆戻りにも、似たものではないのか。
我慢強くない国民を多く抱えた、あるいは国民が多くの苦難を抱えた中では、強力な英雄か独裁者の存在が必要なのだ。それが嫌なら欧米の関与を許すしか、ないのかもしれない。