先週末にリビアの首都トリポリ市で、ちょっとしたいさかいが起こった。独立系のテレビ会社のスタッフが、国会の取材に出向いたときのことだ。
会場に入ろうとしたテレビのスタッフが、私服のガードに押し戻された後、殴られたというのだ。リビアにはカダフィ時代から私服の治安要員が多数いたが、いまでもその風習が残っているのであろうか。
一見、普通の人のように見え、彼が私服のガードだということに気がつかない場合、当然押し出された側は押し戻すことになり、トラブルが発生しよう。今回の場合もその例に漏れない、些細なことであったと思う。
しかし、そのやり取りがテレビ・カメラで撮影されており、その後にインターネットで公開され、放映されたことからたちまちにして、社会問題にまで発展したようだ。
被害を受けたテレビ側は、今回の取材は憲法論議の場であり、報道の自由を侵すものだ、とかみついている。当然、他のマスコミ関係者も同調し『報道の自由が侵されている』と大合唱になったようだ。
マスコミ関係者は『報道の自由が大衆の権利を守るものだ。』と語り、彼らの権利を主張した。
我々には他愛のないことのように思えるのだが、リビアの場合はカダフィ体制の下で、長い間報道の自由が認められていなかったこともあり、もし、今回の事件を放置したら、今後新体制もカダフィ体制と変わらない、独裁的なものになって行ってしまう、という恐怖感があるのかもしれない。
外国で起こる些細な事件が、場合によっては時間の経過と共に、大きな出来事の口火になる場合がある、ということを頭に入れておきたい。
外国の報道はこうした問題を、『人権』と言う厚化粧を施して、大々的に報道する場合がある。結果は当事者たちの予想を、大幅に超えるものになりかねないということだ。