『シリア・アサド体制40年が崩壊の淵に』

2012年12月14日

 父親ハーフェズ・アサド大統領の時代から数えると、40年の長きに及んだシリアのアサド体制が、崩壊の一歩手前まで来てしまったようだ。リビアでも42年続いたカダフィ体制が打倒され、エジプトでも30年を超えるムバーラク体制が、打倒されたのだから、あるいは当然の成り行きであった、とも言えよう。

 そもそも、今回のアラブ諸国における一連の独裁体制打倒劇は、なぜ起こったのであろうか。根底に流れていたのは、行き詰った経済ではなかったろうか。それはアラブに限ったことではなく、欧米もしかりだったのだ。

 アラブの幾つかの体制が打倒されたのは、国内に溜まっていた不満のエネルギーがあり、それに火を付けた外国の存在が、あったということではないのか。決して国内からだけで、盤石と言われた幾つかのアラブ体制が、打倒されたとは思わない。

 シリアの場合は欧米の意向、周辺諸国の意向が、色濃く働いていたのではないか。トルコもイラクもイランもアメリカもヨーロッパ諸国も、何らかの変化がシリア国内で起こることを、想定し期待していたろう。

 この小さな変革の始まりが、周辺諸国をして反シリア体制側に立たせ、そのすき間から、反体制を支援するという、ジハーデストが潜り込んでしまった。アフガニスタン、パレスチナ、リビア、ヨルダン、レバノンなどから戦闘のベテランたちが、シリアに雪崩込んできたのだ。

 彼らの戦闘の手法には、人道など微塵もない。虐殺を繰り返し、それを見た多くのシリア人は、周辺諸国に逃亡し難民となった。こうなると、もうシリア国内の問題だけではなく、立派な国際問題になってしまったのだ。

 当初はロシアと中国、イランが、シリアのアサド体制を擁護していたが、流れが明確になってきた時点で、中国は姿を消し、ロシアは明確にシリアのアサド体制は終わる、と言い始めている。

 イランはまだそこまでは言及していないが、ロシア同様にアサド体制の先が、長くないことを予測していよう。問題は、今回のアサド打倒内戦の混乱なかで、シリアに潜り込んできたイスラム過激派たちが、アサド体制の打倒後に、すんなり出ていくかどうか、ということであろう。

 彼らの一部は、シリアをイスラム国家にする、と嘯いている。体制が打倒された後の権力が、シリア国外のトルコやカタールで開催された会議のなかで、出来上がりつつあるが、この新体制がシリアのその後を、速やかに安定化に持っていける、とは思えない。体制が打倒された後も当分混乱が続くのであろう。