1月23日は金曜日だった。この夜、カイロのタハリール広場(解放広場)には、何万人(何十万人?)もの人たちが集った。彼らはムスリム同胞団出身の、モルシー大統領を批判したのだ。
金曜日はイスラム教徒が、モスクで集団礼拝する日であり、これまでも大きな集会やデモが、金曜日によく行われてきている。この日の夕方から夜にかけて、タハリール広場で行われた集会は、いわばイスラム世界の定番集会、ということであったろう。
続く土曜日にも、同様の大規模集会がタハリール広場で行われ、大衆がそのままタハリール広場に留まり続けるなら、体制側にとっては極めて危険な兆候であったろう。しかし、土曜日にはそうはならなかった。
土曜日には反体制派の人たちによって、二つの集会が開かれていたためであろうか。一つはモルシー大統領によって更迭され、居残りそして最終的に更迭された、アブドルマギード・マハムード検事総長を中心とした、裁判官や検事たち司法関係者の、主催によるものであった。彼らはモルシー大統領が発した、大統領非常大権とでも言うべき、決定を非難していた。
他方、政治家たちも集会を開き、元アラブ連盟事務総長のアムルムーサ氏、IAEAのムハンマドエルバラダイ氏、サッバーヒ氏、アブルファットーフ氏など大統領選挙に名を連ねた人たちが集り、モルシー大統領との交渉拒否と、モルシー大統領に反対する国民戦線を、結成することを決定した。
さて、エジプトでは二つの反政府行動が、同日に始まったわけだが、当然のことながら、この二つの政治の流れは一体化し、反モルシー行動は高まっていくものと思われる。そうなると、実際の行動を起こす若者層が、どう動くかということが、今後の方向を決めるのではないか。
モルシー大統領支持派も、11月27日の火曜日に支持集会を開くと発表し、その前哨戦とでも言うべき集会を、日曜日にも計画しているようだ。それがどれだけの盛り上がりを示すのか、それに反政府側がどう反応するのか、予断を許さない状況だ。
何故こうエジプトの状況は、逆方向へ変化したのであろうか。それは何よりもムスリム同胞団の、経験不足によるのではないかと思われる。彼らは秘密組織として、何十年も活動してきていた。幹部は外部の人たちとの緊密な関係を、持つことがほとんど無かったのであろう。
ムスリム同胞団の幹部が訪問した経験のある外国は、せいぜいムスリム同胞団に対して、好意的な立場を採っている、アラブの王制諸国などであったろう。そうした状態に長期間に渡って生活してきた、ムスリム同胞団幹部には世俗的な常識は、無いのではないか。
権力の掌握、ガザ戦争の停戦仲介成功、オバマ大統領とモルシー大統領の直接電話会談、、、。少し自信を持ちすぎたのと、弾圧を受けた時代のトラウマが、ムスリム同胞団とモルシー大統領に、今回の誤算を生み出させたのではないか。