『カダフィ・ファミリーはチリジリバラバラか』

2012年11月 8日

カダフィ大佐が銃殺されて、ほぼ1年が経過しているが、その後の彼のファミリーの動向は、どうだったのであろうか。

ファミリーのほとんどは、隣国アルジェリアに、逃れて生活していた。そのファミリーのなかで、一番元気がよかったのは、娘のアーイシャではなかったろうかと思われる。彼女は何かにつけて、カダフィ家を代表し、公にものを語っているからだ。息子どもはそれに比べ、いたって静かなものだったような、気がする。

リビア政府は以前から、カダフィ・ファミリーの引き渡しを、アルジェリア政府に要求していたが、1年もの時間が経過すると、さすがに拒否しきれなく、なったのであろうか。

あるいは、居候するカダフィ・ファミリーが、居づらくなったのであろうか。最近になり、彼らがアルジェリアから出国する話が、聞こえてきている。

アルジェリア政府が公表した、カダフィ・ファミリーのうちで、同国から出国したのは、長男のムハンマド・カダフィとハンニバル・カダフィ。娘のアーイシャ・カダフィのようだ。

カダフィの寡婦であるサフィヤ・カダフィは、犯罪に関与していないということで、リビアの東部にある生地、アルベイダに帰れるようだ。

このような運びとなったのは、アルジェリアの外相モウラド・メデルチ氏が、今年の初めにリビアを、訪問した結果であろう。アルジェリア政府は人道的な立場から、カダフィ・ファミリーを匿ってきており、彼らには一切の政治活動を、認めてこなかったがいまが限界だ、と判断したのかもしれない。

カダフィ大佐の7男ハミース・カダフィは、ハミース部隊という最強硬の部隊を持っていたが、戦死しているし、ムウタシム・カダフィも殺害されている。彼は捕まった段階では、怪我もしていなかったが、首と胸を撃たれ、殺されている。

サッカー選手として世界的に知られていた、サアーデイ・カダフィはニジェールに、亡命しているのではないか、と噂されている。

そして、アメリカ軍による1986年のトリポリ空爆で、死亡したとされていた養子のハナは未だに生存しており、医師になっているということのようだ。

あの暴君と呼ばれたカダフィ大佐の、ファミリーの最後は極めて悲惨なものだった、ということであろう。