いまトルコ国内で、大統領職の機能(役割)を、変更する話が動いている。それによれば、いままで大統領は国家を代表する立場であり、首相が実質的な実務の最高権限者であったものを、アメリカの大統領のように、大統領の権限と機能を拡大する方向で、検討しているということらしい。
これは、エルドアン首相の首相職が、延長不可能になることから、首相職の後は大統領に就任し、国家の運営を自分の手でやって行きたい、という意向に基づくもののようだ。
しかし、これには賛否両論がある、野党各党はほぼ揃って、この大統領の権限拡大に反対している。それは、現在のスタイルから、アメリカ方式に変えた場合、大統領の権限が大きくなり過ぎ、議会の力が弱くなる、という懸念が生じ、政府内部での大統領の力が、あまりにも大きくなり、民主主義が後退してしまう、ということのようだ。
エルドアン首相がトルコのイスラムのリーダーと、電話で話し合ったことにより、この問題は解決したのだろうと思っていたが、エルドアン首相の意向は、きわめて強いものであった、ということであろう。
しかし、もしエルドアン首相が強引に、この変更を進めようとすれば、与党内部からも反発が生まれ、与党が分裂することもありえよう。イスラムのリーダーは、エルドアン首相に対し、大統領になることに反対はしないが、憲法を改正し、全ての権限を大統領が握ることには、反対だと告げていたようだ。
こうした問題を抱えて、エルドアン首相が自分の意思を通せば、地方選挙などで与党内部から、エルドアン首相に対する国民の反対意志を示すために、全力を注がなくなるかもしれない。
エルドアン首相の意向は、誰もが持つ欲望であろう。エルドアン首相の場合は、中央アジア諸国を歴訪しているし、アメリカの大統領にも頻繁に会っている。そうなると、相手の大統領たちが大きな力を持ち、国家を運営していることを、うらやましいと思うこともあろう。
しかし、トルコが今後も、健全な民主主義の国家であるためには、憲法を改正してまで、大統領の権限を拡大するのはどうかと思う。エルドアン首相の焦りにも似た最近の動きは、健康が原因しているのであろうか。
政治を司る者が、最終的には大統領という、国家のトップの地位に立ちたい、という気持ちになるのは、分からぬではないが、その意欲が彼の政治生命にとって、危険なものや、不名誉なものになることも有り得る、ということではないのか。