イスラム教の大祭であるイード・ル・アドハー(犠牲祭)を機に、シリア政府と反政府派に対して、国連が派遣したシリア問題仲介責任者、アルジェリアのブラヒム氏が双方に対する、犠牲祭のための停戦を提案した。
しかし、実際には停戦どころか、それ以上の犠牲者が出てしまっている。それは無理からぬことであろう。実を言うと、現在シリア国内で展開されている戦闘は、シリアの反政府派対シリア政府の戦闘では無く、外人部隊とシリア軍との、戦闘になっているのだ。
シリアの反政府派FSA(自由シリア軍)は形ばかりであって、彼らには何の主導的な力も、無いのではないか。だからこそ、シリア国内では信じられないような破壊と、殺りくが続いているのだ。
世界遺産にもなりうる歴史的な建造物が、何の価値もおかれずに破壊され、、虐殺としか言いようのない殺戮が、行われているのはそのためであろう。
この犠牲祭の最中に、シリアの首都ダマスカスでは、車爆弾のテロが何度か起こっているし、そのうちの幾つかは、特攻テロだったのではないかと思われる。シリア人が今まで採ってこなかった作戦ではないか。
シリアの各都市の家屋ビルは次々と破壊されている。インフラもずたずたで、水や電気にも事欠く始末だ。
これではシリア国内に留まっても、住むべき家が無い。破壊されたビルの一部に潜り込むか、テントを張って雨や暑い太陽から、体をしのぐしかあるまい。
同様に周辺のトルコやヨルダン、そしてイラクに逃れた難民たちも、この夏極めて劣悪な環境で暮らしてきた。難民受け入れ国の、シリア難民に対する配慮はあるものの、決して十分ではなかったろう。
難民受け入れ国は難民に対する援助を、ほとんど自国の資金で、行わなければ、ならなかったからだ。
これからシリア国内のとどまった人たちも、トルコやヨルダン、イラクに難民として逃れた人たちも、寒い冬を迎えることになる。彼らの暖房はどうなるのか、彼らの食料はどうなるのか、彼らの健康はどう維持されるのか。
世界の関心は戦闘シーンであり、シリア国民がどれだけむごい殺され方をするのかに、向かっているのではないのか。外国のシリアに関する報道の受け止め方は、ほとんど真面目なものではなくなりつつある。
先例のイラクで起こっている、爆弾テロや殺戮について、世界は既に飽き飽きしたのか、ほとんど関心を無くしている。しかし、そこには現実が、厳然として存在するのだ。