トルクメニスタン政府が大開発をしているのが、トルクメニスタンの北西部に位置する、カスピ海沿岸の観光リゾート都市アワザ市だ。そこで世界中に散らばる、トルクメニスタン人を集めた、会議が開催された。この会議には国内外のトルクメニスタンの学者、官僚、学生、ビジネスマンなど、およそ500人弱が参加した。
私も発言者の一人だと知らされていたが、会場に入ってみてびっくりさせられた。それは壇上に上がった発表者の8人のうち、私一人だけが外国人だったからだ。壇上には新旧閣僚3人も上がっていたので、実質発表者は私を含めて、5人だったのだ。
私は短いスピーチをしたが、案外受けが良かったようだ。後で知ったのだが、私の声が聞きにくいと言って、会議場のエアコンのスイッチを、切らせていたということだ。
私のスピーチの受けが良かったのには、二つ理由があると自分で考えている。第一には、は他の発表者とは違って、自由主義社会の人間たちの発言は、一定のパターンに従っていないという点だ。旧共産主義社会の人たちは、どうしても似通った、政府と権力者礼さんの話しかせず、聞いている方はまたか、という印象を持つ。その点私の話には、新味があったということであろう。
第二には、以外だったのだが私の声が魅力的だというのだ。それは本当だったのかどうか、未だに真実は分からないままだ。
私の話の趣旨は、『日本とトルクメニスタンは、ウラル・アルタイ人種で共通だということ、日本には500年1000年続く会社が多数存在し、それらの会社は創業当初の製品を、今でも造っているか造る能力を維持している。そのことは、企業が問題に直面したときに役立つ。
トルクメニスタンにも素晴らしい、アハルテケという馬や絨毯があるが、これらは長い時間をかけて、工夫努力してきた結果の産物だ。従って、トルクメニスタンも工業化することは夢ではない。』といった内容だった。
トルクメニスタン政府が遠い日本から私を呼んで、トルクメニスタン人だけの会議に参加させたということは、同国が日本に期待を寄せている、ということの証明であろう。
トルクメニスタン大統領は私に対し『貴方は日本人らしくない、今日からセヘト(祝福される日、神聖な日といった意味らしい)と呼ぶよ。』と言ってくれた。私の苗字の佐々木はササキでありトルクメニスタン語にはササグというのがある。これは燃やしても、煙が目に染みない木だそうで、貴重がられている。
大統領は親しみを込めて、私にセヘト・ササグと命名してくれたのだ。それに何処まで応えられるかが、問われているということであろう。