『ムスリム同士が殺しあう時代へ突入か』

2012年10月 6日

 アラブの春に先駆けた闘いは、イラクとアフガニスタンの戦争であったろう。その後、この二つの国では相変わらず小規模ではあるが、殺戮が続いている。その終わりが、何時来るのかを知る者はいない。

リビアでも小規模銃撃戦が続いており、チュニジアでも死者の数こそ少ないが、対立と衝突が続いている。エジプトもまた、しかりであろう。ただ幸いなことに、エジプトでは犠牲者の数が、極めて少ないことだ。

これらの、アラブの春革命が起こった国で見られた現象は、同じ国の同じイスラム教徒が、殺しあうという状況だった。そこには一人として、外国人の犠牲が生まれていないということだ。

シリアでは戦闘が継続し、拡大する懸念が出てきているが、ここの戦争状態は、イスラム世界に新しい状況を、生み出していくのではないか、という懸念を抱かせる。

これまで中東地域で見られた戦争は、アラブ対イスラエルあるいは、アラブ対イランという、人種の異なる国同士の戦争であった。しかし、アフガニスタンで戦争が始まり、次いでイラクで戦争が起こると、同国人同士の間で戦闘殺戮が、始まったのだ。

イラクの場合を見ると、スンニー派対シーア派あるいは、クルドといった人種や宗派が異なる者同士の、戦闘のように見えるが、その火付け役を果たしているのは、いずれもアルカーイダあるいは、他の名前のイスラム原理主義集団、ということになっている。

しかし、このイスラム主義集団なるものが、本当にイスラム原理主義者なのか、単なる戦争屋なのかは、いまだに確認できていないのではないか。

エジプトの革命後の状況を、現地の人に詳しく聞いていると、単なるギャング集団としか思えない、ある組織の活動が見えてくる。それをエジプトの場合は、誰が活用したのかということが問題だ。

そしていま、トルコとシリアとの間で、緊張が高まっているが、シリア政府軍がトルコに砲撃をしたことが、両国間の緊張発生の原因、ということになってはいるが、果たしてそれは事実なのであろうか。

シリアから砲弾を放ったうちの幾つかは、シリア軍の可能性もあるが、シリアの反体制派の組織の可能性も否定できないし、外国から入ってきたジハーデストと呼ばれる、戦争屋による可能性もあろう。

問題はその結果、トルコとシリアというイスラム教徒同士の国が、本格的な戦争に突入していくのではないか、という懸念が拡大してきているということだ。事の真相を考える場合、そうなった場合に、誰がその状況を一番喜ぶのかを、考えてみる必要があろう。