アラブ諸国の多くが自国内に抱え込んでいる、イスラム原理主義者たちの危険性を考慮し、彼らを合法的に外国に追い出すことを考えた。それがアラブ・ジハーデスト(アラブの聖戦兵士)たち多数を、アフガニスタンの戦場に送り込んだ理由だった。
エジプトでもサウジアラビアでも、あるいはリビアでもこの方法が、採られていたのではないか。リビアではカダフィ体制に対する、革命闘争が始まって間も無く、ベルハッジのような名うての、アフガン帰りが戦闘に参加している。
サウジアラビアを代表するジハーデストは、ウサーマ・ビン・ラーデンであろう。もちろん、彼以外にも多くのサウジアラビア人が、アフガニスタンの戦闘に参加している。クウエイトからも同様に若者たちが、アフガニスタンの反ソ闘争に参加していた。エジプトからはアイマン・ザワーヒリを始めとする多数が参加し、現在主導的な立場にいる。
このアラブ諸国のジハーデスト国外追放計画は、最初の段階では成功したのだが、アフガニスタンからソ連軍が撤退した後は、ジハーデストたちが戦うべき目標を失い、帰国して行ったり、ボスニアやチェチェンなどに、戦闘の場を移している。
彼らのなかには帰国に際して、逮捕された者が多数いた。また非合法に帰国出来た者たちは、国内に潜伏し自国内でのジハードを始めた。1990年代の後半から2000年初めにかけて起こった、アラブ諸国内での爆弾テロは、彼らの手によるものであったろう。
2003年のイラク戦争が終わった後は、スンニー派のアラブ人ジハーデストたちが、シーア派が主導的になったイラク体制に、挑戦すべく侵入している。一説によれば、サウジアラビアの内務省は彼らに対し、軍事訓練を施し、武器と資金を与えていたということだ。
最近では、シリアのアサド体制がシーア派の分派である、アラウイ派であることから、反シリア体制の闘争に加わることは、ジハードだとする考えが、アラブ人ジハーデストの間で広まっている。
湾岸諸国やエジプト、リビア、レバノンなどから、シリアの反体制派側に合流して、戦闘に参加する者の数は少なくないようだ。一説によれば、シリアの反体制側の戦闘員の半数以上が、非シリア人だといわれている(75パーセントという説もある)。
サウジアラビアからも、シリアの戦闘に参加する者が出てきているが、さすがにサウジアラビア政府は、この動きを危険視し始めたようだ。シリアが戦場であれば、彼らはトルコやレバノンに向かい、そこで反政府側の戦闘員のグループに、容易に合流できるのだ。
多少の所持金とトルコまでの往復の航空チケットを買う金が出来れば、誰もがこのジハードに、容易に参加出来るということだ。武器はシリアにもトルコにも沢山ある。何もサウジアラビアから、武器を担いでいく必要はないのだ。
こうして新手のジハーデストたちが誕生し、容易に戦闘経験を積んだのでは、各国は安心できなくなろう。何時彼らの銃口や爆弾が、自国に向けられるのか、分からないからだ。
最近になってサウジアラビア政府は、シリアへの戦闘参加に出向くことを、国民に対し禁止したようだ。なぜならば、これらのジハーデストたちが戦闘を終えた後、サウジアラビア国内で反体制のジハードを、始める危険があるからだ。
戦場に長くいるということは、異常な体験を積むわけであり、部分的に精神に異常をきたしてしまう。彼らは帰国後、通常の生活のなかで突然戦場にいる感覚になり、周囲の人たちに攻撃を加えることがあるのだ。
それと異常な緊張状態にいた快感が、彼らをして危険な行動に走らせたがるのだ。それが彼らに自国内でのジハードの必要性を、正当化させることになるのだ。結果は述べるまでも無い。必要の無いジハードの闘いが、平和な街で突然展開されることになるのだ。
アラブ諸国はジハーデストたちを逮捕することに合わせ、彼らの精神的なケアを考えなければなるまい。彼らジハーデストたちを長期間投獄していても、それはジハードを断念させることには、繋がらないのだから。この分野で最も優れているのは、第二次世界大戦以降、継続して戦争をし続けてきているアメリカであろう。