中国でも韓国でも最近では、『愛国無罪』という言葉が流行しているようだ。たとえその行動が社会的に、認められるべきものではなくとも、愛国心のなせる技であれば、これを罰しないという考え方だ。
韓国の日本大使館に対する、嫌がらせ行動の数々、中国での日本大使公用車の、日の丸強奪事件などは、その典型的な例であろう。韓国でも中国でも実行者の精神が、愛国にあるとして重刑に処せられることはなく、マスコミなどでは英雄視さえされている。
アラブ世界でも同じようなことが、いま起こっている。アメリカが制作したイスラムの預言者ムハンマドに関する映画が、イスラム教と預言者ムハンマドを冒涜するものであるとして、リビアのベンガジ市では、アメリカ領事館が襲撃され、3人の外交官とジョン・ゴードン・メイン大使が殺害された。
エジプトのカイロ市でも、アメリカ大使館が襲撃され、大使館の塀の上に登って若者たちが気勢を挙げ、アメリカ国旗を引きずり降し、火を点けている。本来であれば、大使館は相手国の領土であり、そこに立ち入ることは許されないのだが、いとも簡単にこうした行動が、リビアとエジプトで起こっている。
この行動に対するリビアとエジプト政府の反応は、いたって穏やかなものであり、心から陳謝するという風には受け取れない。エジプトのモルシー大統領は若者たちの、アメリカ大使館に対する襲撃の一部を、正当な行動として認めるような、発言すらしている。『その行動を起こす気持ちはわかるが、やり過ぎだろう。』といったニュアンスなのだ。
これは中国や韓国の愛国無罪と、どこか通じる部分がある。たとえ権力者が認めるべきではない、犯罪行為と判断しても、それをそのまま語ったのでは、反政府の動きを呼び起こしかねないのだ。したがって、治世者はあいまいなコメントで、誤魔化すしかないのであろう。
この反イスラムの映画に対する非難は、チュニジアでもイランでも、その他の国でも起こり始めているようだ。イランはアメリカに対し、世界のムスリムに詫びるべきだ、とコメントしている。
確かにそうであろう。オバマ大統領が早期の対応を取らなければ、アメリカは世界中のイスラム教徒を、敵に回す危険性があろう。また、親米派の国々の体制にとっては、反体制派がこれを口実にデモを始めた場合に、抑え込むのが困難になり、最終的には反体制の大きなうねりに、繋がる危険性もあろう。
『愛国無罪』は韓国と中国の、政府の弱さを示すものだが、同じように、イスラム諸国では『宗教無罪』が体制の弱さを示している、ということであろう。