友人が昼飯を食おうということで財団に来た。近くのレストランに入り席に着くなり、私は『モルシーのやり方はナセルに似て来たんじゃないか?』と言うと、彼の秘書が『実はうちの社長も同じことを言い出している。というのだ。
ナセルはムスリム同胞団が成功にこぎつけた革命を横取りし、強敵のムスリム同胞団を潰すために、あらゆる対応策をとった。ムスリム同胞団のトップだったサイイド・コトブ師を、ナセル暗殺を企てたということで処刑している。
同じようにマスコミの大物を、モルシー大統領は暗殺に関与していると言って逮捕した。これはマスコミの非難を抑え込む口実であったと思われる。次いで警察も抑え込み、息のかかった人物をトップに挿げ替えた、と言われている。
軍のトップを首にし、名目上は大統領顧問という職責を与え、次いで軍の幹部を多数入れ替えている。そして警察がそうであり、マスコミの幹部も入れ替えた。国営のマスコミは入れ替え、民営のマスコミに対しては難癖をつけて、潰しにかかっている。これでは政府批判は、マスコミに載らなくなるだろう。
しかし、最近になってあまりにも目立つ、モルシー大統領の強圧政治に、エジプトの文化人たちが、クレームをつけ始めている。自由な表現が抑え込まれたのでは、文化が育たないというソフトな批判ではあるが。
モルシー大統領の強圧政治はナセル大統領と同じで、実は実力が無いことをごまかすためではないのか。ナセル大統領は自分が革命をやったと主張したが、実はムスリム同胞団がほぼ成功の段階まで持っていったものを、横から奪い取ったものだった。
モルシー大統領の場合も同じだ、世俗派の大衆がほぼ成功にまで漕ぎつけた革命を、横から奪ったものだった。エジプトの春革命は決して、ムスリム同胞団が主導したのでも、成功させたものでもないのだ。
モルシー大統領の選挙での勝利も、実は選挙委員会が結果を発表する前に、自分が勝利したと宣言することによって、無理やり奪ったものだった。その時のライバルである、もう一人の大統領候補だったシャフィーク氏を、いまでは逮捕し裁判にかけると言っている。
当時のムードからいって、モルシー大統領の勝利宣言を選挙委員会が否定したら、大衆はそれに猛反発したであろう。まさに作戦勝ちであったのだ。しかし、そうであるがゆえにモルシー大統領は、あらゆるものが敵に見えて不安なのであろう。それが彼をして強圧政治に、駆り立てているのではないか。その手法はやがてぼろを出し崩れよう。