『ナセルに似て来たモルシー大統領の手口』

2012年9月 3日

 1950年代、ナセル大統領は権力の座に就いたとき、最大の敵であるムスリム同胞団を壊滅すべく、ムスリム同胞団に対して、強硬な対応を取っていった。そのなかでも最も強い衝撃を呼んだのは、ムスリム同胞団の第2代リーダーである、サイイド・コトブ師に対する対応だった。

ナセル大統領はサイイド・コトブ師が、ナセル大統領を暗殺するために、コーランをくりぬき、そのなかに拳銃を隠し持っていたとし、死刑にしたのだ。常識で考えたら、ムスリム同胞団のメンバーがコーランをくりぬく、などということをするはずがないのだが、罪状はそういうことにされた。

それ以後、一般のムスリム同胞団人に対する、逮捕と拷問が続けられ、多くが国外、なかでもアラブ・ナセルの社会主義とは異なる、欧米諸国や王制のアラブ諸国に逃れている。

モルシー大統領が進めている国内統治政策は、どこかナセルの手法に、似ていると思えてならない。モルシー大統領は故ナセル大統領の場合とは逆に、ムスリム同胞団の最大の敵である軍部を、抑え込むことを最初に手掛けた。いまの段階ではそれがほぼ成功したかにみえるが、将来、軍部が反旗を翻すか否かは定かではない。

軍部の制圧の後に、モルシー大統領が手掛けたのが、マスコミ対応だった。マスコミ界のなかには、ムバーラク時代の考えを持つ者が多数おり、彼らが反モルシーの論陣を張るからだ。それは国論をまとめていく上では、極めて厄介なものであろう。

最初に血祭りにあげられたのは、アッドストール紙のイスラム・アフィーフィ氏だった。彼はアッドストール紙で『このままいけばエジプトはムスリム同胞団のエミレイツ(首長国)になってしまう。それを防ぐために、国民は軍部と一体となって、ムスリム同胞団に立ち向かわなければならない』と書いた。

彼は間もなく逮捕され、モルシー大統領が恩赦を下すまでの12ヶ月間、刑務所に投獄されていた。

次いで血祭りにあげられたのは、ファレーン・テレビの人気キャスターであるタウフィーク・ウカシャ氏だった。彼はモルシー大統領を殺すべきだと主張したとされた。もちろん彼はそのことを否定しているのだが、結果的に彼も逮捕されることになった。

いまのエジプトは、ここに述べたように報道や発言の自由が、なくなっているということだ。おまけに、エジプトのテレビの女性アナウンサーは、遂にヘジャーブ(スカーフ)を冠って、出演するようになってきてもいる。