『バッシャール・アサドの運命とシリアの今後』

2012年8月30日

 シリアのバッシャール・アサド大統領が、シリアの内部問題を処理するには、時間が必要だと発言している。確かにそうであろう。最初は平和的なデモで始まったものが、現段階では混乱が相当数の外人戦争屋(殺害やレイプを目的とする欧米人や、イスラム原理主義者と言われる者たちなど)が入り込み、抑え込みが困難になっているからだ。

バッシャール・アサドという人は、つくづく運の無い人なのかもしれない。元は大統領になどなるはずがなかったものが、兄の急死により父親ハーフェズ・アサド氏によって、急遽政治の世界に引きずり込まれてしまったのだ。

しかし、大統領になったとはいえ、彼にはほとんど独自で決定を下す、自由が無かったのではないか。それは父親時代からの古参の政府幹部が、彼を取り巻いていたからだ。

今回の国内混乱を機に、嫌気をさしたシリア政府幹部の一部が政権を離脱し、外国に逃亡を図り始めている。ある者はそれでカタールに行けば、大金をもらえると踏んでいるのかもしれない。なぜならば、カタールは一日も早く、バッシャール・アサド体制を打倒したいから、シリア政府の要人の政権離脱は大歓迎なのだ。

バッシャール・アサド大統領はその点について『去る者は追わない、抜け出したい者には、自由にシリアから出ていくようにさせている。』とコメントしていた。心の中ではそうした裏切り者に対し、怒りでいっぱいなのかもしれない。

その怒りを表に出さずに、淡々と語るところにバッシャール・アサド大統領の、悲しみと凄みを感じるのだが、いかがなものであろうか。彼は今後、順を追ってシリアの各都市に巣くっている外人部隊を追放し、シリア国民の自由意思を表面に出させるように、していこうと考えているのであろう。

それを彼の任期である、2014年まで続けて処理し、その後は自由選挙の結果にゆだねる、ということではないか。もし、彼が選挙で敗れれば、彼は案外あっさりと権力の座から、引き下がるのではないだろうか。

しかし、その後のシリアが、自由で民主的な国家になるという保証はどこにもない。既にシリアの先を越した国々では、難しい新たな状況が露呈している。リビアではカダフィ時代がよかった、と思う国民が増えているし、部族間対立も激化している。チュニジアとエジプトでは、ムスリム同胞団などイスラム原理主義者が権力を掌握し、次第に自由が制限されてきている。

シリアで一番盤石な政治組織は、ムスリム同胞団であろう。それが政権を握るのか、あるいはポスト・アサドのシリアがもっと混乱するのか。